2018年7月13日金曜日

最終兵器の聖典 天降り・国譲り3

 「大倭日子鋤友」は大の倭の国の配下の意味で、「大倭帯日子」の「帯日子」が大の倭という地域の支配者で『隋書』に俀国王を「多利思北孤」と呼んでいることからわかるが、天皇に官名は不要で「帯日子」は天皇の配下で、『日本書紀』の「藥豐足臣之子」と豊国を支配する臣の子薬と紹介しているように、天国を支配する彦で自身も「號阿輩雞彌」大王と呼ばれ、皇太子彦人を『隅田八幡神社人物画像鏡』で「日十大王」と呼んでいる。
「神沼河耳」は「葛城高岡宮、治天下也」と記述され、『古事記』においては葛城氏が天皇であるため自分に葛城という氏姓を使うことがなく、氏姓を持たないのが天皇で、『古事記』においては「品陀和気」になって初めて天皇と呼ばれた。
『古事記』と『日本書紀』の天皇名が同じであるということは、『日本書紀』が『古事記』の天皇名をそのまま使って継続して書いた事を物語っていて、「品陀和気」の子たちによって史書の作成が始まったことがわかり、宮の場所も葛城氏の宮とまず考えるべきだ。
また、銅鐸が最初に消えた場所から徐々に、神武天皇の侵略で加速度的に銅鐸の国東鯷国は浸食され、銅鐸が消えた時完全な政権交代が起こって、現在の日本国の前身若しくは実際に日本国が建国された。
君を含めた『日本書紀』で記述される国造の祖は、「大彦命 筑紫國造 越國造」と大国主が嫁探しをして得た国で、日本は『日本書紀』を記述した国大国は出雲と同体で筑紫国と越国は同盟国と述べている。
そして、『先代旧事本紀』には「天湯津彦命 安藝國造等祖」・「天三降命 豐田菟狹國造等祖」・「下春命 武蔵國造等祖」・「誕生彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊次 武位起命 大和國造等祖」の4国で、しかも、神武東征前に大和が叔父の領地になってしまっている。
しかし、『古事記』では「天菩比命之子建比良鳥命・・・祖也」・「天津日子根命者・・・祖也」・「槁根津日子此者倭国造等之祖」・「神八井耳命者・・・祖也」の20余国がすでに建国前に有って、すなわち東鯷国が有ったところにあとから国造を任命したことを意味する。
この項では、天降は漁師の国(海人)の人々が交易で全国を回り、交易相手国に婿入りしたことを意味し、国譲りは 大巳貴から大国主が大国を奪ったことを意味し、その領域が国造の祖として記述されていることを示した。
そして、神話は国引き神話が「八束水臣津野」の神話を書かれてもいない大国主の神話と言われるように、大穴牟遅と大己貴と大国主を同一の神と見做して別々の神話を流用し、その方法は国造・国譲り・神武東征も受け継がれ、さらに天皇も流用されることとなる。
建国者神武天皇も物部朝神武・尾張朝神武・葛城朝神武・天朝神武と複数人存在し、聖徳太子も天氏の太子「利歌彌多弗利」、物部氏の太子「恵佐古」?、蘇我氏の太子「馬子」を一纏めにして記述していることが解る。

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