2017年10月16日月曜日

最終兵器の日本古代史 女系図3

 先代旧事本紀の系図から伊香色雄(崇神)続いて、大新河(垂仁)・十市根(垂仁)・胆咋宿祢(成務)・五十琴宿祢(神功)と継承した。しかし、建諸隅と武諸遇で同じ名が尾張氏(孝昭)と物部氏(垂仁)と共に出現する。物部氏の武諸遇は成務天皇の大臣すなわち成務天皇本人の胆咋宿祢の娘を妃として応神天皇になってしまい前後関係に矛盾がある。すなわち、物部氏の崇神天皇を継いだ建諸隅(垂仁)・多遅麻(景行)・印葉(応神)が存在して尾綱根に皇位を簒奪され、その血筋は、孝元天皇(健額赤)→大彦(建箇草)の血筋の大海姫と崇神天皇(建田背)の子の八坂入姫と武諸隅(垂仁・八坂入彦)→多遅麻(景行・五百城入彦)の娘の仲姫と尾綱根(応神)の子が仁徳天皇(意乎巳)となる。物部系と尾張系との並立で尾張系が勝利したことになり、最初の南北朝のようだ。大成経では崇神・垂仁・神功・応神天皇で璽の移動があり、これらの混乱が反映され、 成務天皇の大臣は武内大臣ではなく 胆咋宿祢が大臣のようだ。伊莒弗が履中・反正共に大連に就任しており、No1の地位なら有り得ず、2人の天皇に仕えたNo2の地位だったと考えられる。すなわち垂仁天皇の時の倭国大乱で政務天皇と景行天皇が並立したことを示して、天皇としては次代の天皇の王朝が正規の王朝となるため、正規でない天皇名は若帯日子と帯中日子で、ただの官位名を記述して王名が記述されない。三国志の倭国大乱は宗主国の日本が混乱して、その結果、倭国内の国々が尾張氏と物部氏とどちらに付くかで混乱し、その隙に狗奴国も倭国に攻めたのだろうか。
『先代旧事本紀』 5巻
四世孫羸津世襲命・・・妹世襲足姫命・・・観松彦香殖稲天皇立爲皇后誕生・・・次日本足彦國杵人天皇是也・・・六世孫建田背命・・・七世孫建諸隅命此命腋上池心宮御宇天皇御世爲大臣供奉葛󠄀木直祖大諸見足尼女子諸見巳姫生一男妹大海姫命 亦名葛󠄀木髙名姫命・・・八世孫倭得玉彦命・・・ 十三世孫尾綱根命此命譽田天皇御世爲大臣・・・十四世孫尾治弟彦連次尾治針名根連次意乎巳連此連大萑朝御世爲大臣供奉」
五世孫欝色雄命・・・妹鬱色謎命輕境原宮御宇天皇立爲皇・・・次春日宮御宇天皇・・・伊香色謎命 大綜杵大臣之子・・・誕生皇子即是磯城瑞籬宮御宇天皇・・・八世孫物部武諸遇連公 新河大連之子・・・九世孫物部多遅麻連公武諸遇大連之子・・・物部膽咋宿禰 十市根大連之子 此宿祢志賀髙穴穗宮御宇天皇御世元爲大臣・・・物部伊莒弗連・・・此連公稚櫻柴垣二宮御宇天皇御世為大連
『日本書紀』
「妃尾張大海媛。 生八坂入彦命・・・八坂入彦皇子之女也。天皇欲得爲妃。・・・唯有妾姉。名曰八坂入媛・・・
八坂入媛爲妃。生七男六女。第一曰稚足彦天皇。第二曰五百城入彦皇子・・・大鷦鷯天皇。譽田天皇之第四子也。母曰仲姫命。五百城入彦皇子之孫也」

 応神天皇は物部印葉と尾綱根が政権を争い尾張氏の大海姫と崇神天皇の末裔の仲姫との子の仁徳天皇(意乎巳)に皇位を継いで、しかも、大海姫は葛󠄀木髙名姫と接合している。そして、尾綱根から尾治氏が始まっていて、それ以前の尾治氏には氏が無い。天皇に氏は不要で、同様に大新河から物部の氏を持ったということは、物部氏も氏が不要な天皇だったことが解る。さらに、古事記では神功皇后の母は葛城高額姫で高額姫の両親は葛城氏ではない。古事記の開化天皇は葛城氏の王を想定した記述の可能性があり、武内宿祢も、神功皇后も古事記は葛城氏だと想定している。すなわち、応神天皇は尾張氏から天皇位を簒奪したということも記述して、応神天皇の記事には尾綱根・印葉・襲津彦・倭王などの内容が記述されているため、朝鮮王の死亡記事と合わないのである
『日本書紀』
崇神天皇元年二月辛亥 「次妃尾張大海媛 一云大海宿禰女八坂振天某邊」
『古事記』 開化天皇
「娶葛城之垂見宿祢之女 ?比売生御子建豊波豆羅和気」
「山代之大箇木真若王娶同母弟伊理泥王之女丹波能阿治佐波毘売生子迦迩米雷王・・・此王娶丹波之遠津臣之女名高材比売生子息長宿祢王 此王娶葛城之高額比売生子息長帯比売命」
『先代旧事本紀』 5巻
「十三世孫尾綱根命・・・品太天皇御世賜尾治連姓爲大江大連勑尻納連日」
「大新河命此命纏向珠城宮御宇天皇御世元爲大臣次賜物部連公姓」

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