2017年10月13日金曜日

最終兵器の日本古代史 女系図2

 畿内での神武天皇に次ぐ政権交代は孝昭天皇で、この時神武天皇はどの家系の人物かわかることになる。孝昭天皇は天忍人の王朝を支配し瀛津世襲の妹の姫の世襲足姫を妃として子の孝安天皇に王を譲って王朝が変わったと考えることができる。すなわち、饒速日が東鯷国(神倭の地)に侵略して、宇摩志麻治が神倭王朝を開いたが、天香語山に璽を譲って、天村雲(神武)と天忍男(綏靖)に継承された次の王の瀛津世襲(安寧)孝昭天皇は打ち破った。孝昭天皇の頃の紀元前88年に大彦が樟葉を攻略している。 
『古事記』 孝昭天皇娶尾張連之祖 奥津余曽之妹 名余曽多本毘売命 生御子・・・大倭帯日子国押人命」
『日本書紀』 
崇神天皇十年九月壬子 「・・・號其脱甲處曰伽和羅 褌屎處曰屎褌 今謂樟葉訛也・・・」
『先代旧事本紀』 5巻
天降誕生宇摩志摩治命兒天香語山命・・・三世孫天忍人命・・・四世孫羸津世襲命・・・妹世襲足姫命」

 孝元天皇は同じ血統ではあるけれどもう一方の分家の宇摩志麻治系王朝の欝色雄を侵略して妹の姫の欝色謎の子開化天皇に王朝を統治させた。分王朝の娘が欝色謎なのだから、天忍男から政権を奪ったのは、彦湯支・大祢・出雲醜(懿徳)出石心(孝昭)三見宿祢(孝安)大矢口宿祢(孝霊)の王朝で、それを示すかのように出雲醜から大臣を名乗ったと先代旧事本紀に記述されている。この頃、すなわち、西暦82年頃に九州東部・南部を支配して京都郡に宮を置いていて、大成経では次の孝元天皇が璽を得ている。
『日本書紀』
開化天皇即位前紀  「稚日本根子彦大日々天皇・・・第二子也母曰欝色謎命穗積臣遠祖欝色雄命之妹也」
景行天皇十二年九月戊辰 「到豐前國長峽縣 興行宮而居 故號其處曰京也」
『先代旧事本紀』 5巻
「弟彦湯支命・・・此命葛󠄀城髙丘宮御宇天皇御世・・・三世孫大祢命此命片塩浮穴宮御宇天皇御世・・・弟出雲醜大臣命・・・輕地回峽宮御宇天皇御世・・・弟出石心大臣命此命掖上池心宮御宇天皇御世・・・四世・・・弟三見宿祢命・・・此命秋津嶋宮御宇天皇御世・・・弟大矢口宿祢命・・・廬戸宮御宇天皇御世・・・五世孫欝色雄命・・・此命輕境原宮御宇天皇御世拜爲大臣・・・妹鬱色謎命輕境原宮御宇天皇立爲皇后誕生三皇子則大彦命次春日宮御宇天皇」
大成経』 「大日本根子彥國牽尊・・・得璽即天皇位」

 開化天皇は宇摩志麻治王朝の末裔大綜杵の娘の伊香色を妃にして子の崇神天皇に王朝を継いでいる。すなわち、欝色雄(孝元)から大綜杵(開化)・伊香色雄(崇神)の継承だ。開化天皇の子から王がインフレ状態になっていて、大成経の孝元天皇の璽の移動があり王の中の王の大王もしくは天皇になったようだ。
『先代旧事本紀』 5巻
五世孫欝色雄命此命輕境原宮御宇天皇御世拜爲大臣・・・弟大綜杵命・・・春日率川宮御宇天皇御世爲大臣 六世孫武建大尼命・・・弟伊香色雄命此命春日宮御宇天皇御世以爲大臣」
『古事記』
開化天皇 生御子、日子坐王・・・讃岐垂根王・・・比古由牟須美王・・・大箇木垂根王・・・」

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