これまで、日本の古代史を俯瞰してきたが、日本書紀を読み進めると特徴的なエポックがある。以前にも書いたけれど、王が侵略したら、被支配地に支配者の神と被支配者の神を合祀して2柱の神を祀らせ、被支配者を跪かせ、自分の置かれた地位を受け入れさせる。そして、長い間に被支配者の神はまたの名という形で支配者の神だけの祠となってしまう、これが大国主亦の名は大物主・・・、伊勢神宮には多くの神が祀られているが、中心は天照大神だ。
『古事記』
「生子 大国主神 亦名謂大穴牟遅神 亦名謂葦原色許男神 亦名謂八千矛神 亦名謂宇都志国玉神」
しかし、これだけでは被支配者がクーデターで交代すればおしまいで、もう一つの装置が、被支配者の姫を皇后にしてその子供に王を譲る。そのことで、その譲られた王は支配者・被支配者共に王と認められ、その土地は支配者が継承される。この方法が一番軋轢無しに侵略地を統治する方法で、たとえば、素戔嗚は大神の姫に正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊が生まれその正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊が高皇産靈尊の領地を支配するため栲幡千千姫を妃にして子の天津彦彦火瓊瓊杵尊が天下った土地を支配した。正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊では天下った土地を支配できなかったのである。神武天皇も古事記では大物主(大神倭神)の領地を支配したけれど、阿比良比賣の子の多藝志美美では被支配地が納得せず、大物主の末裔の五十鈴媛の子の神渟名川耳が王になることで支配地がうまく統治される。ということは、新たに、畿内を統治しようとする王は被支配者の姫を妃にしないと支配が安定しなと考えられる。そして、素戔嗚は海原を任されたので、領地は宗像の神域が領内で、後に大国主に支配される。
『日本書紀』
「既而素戔鳴尊乞取天照大神髻鬘及腕所纒八坂瓊之五百箇御統。濯於天眞名井然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊・・・」
『古事記』
「三島湟咋之女 名勢夜陀多良比売其容姿麗美 故美和之大物主神見感而其美人為大便之時・・・娶其美人生子名謂富登多多良伊須須岐比売命・・・即娶其美人生子名謂富登多多良伊須須岐比売命・・・阿礼坐之御子名・・・神沼河耳命」
すなわち、海を支配していた隠岐の沖ノ島の素という地域の素戔嗚が隠岐の島後の天照大神の地域を侵略して、その子の1人正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊が高皇産靈尊が支配し、水田を経営する伊都、この時期は伊蘇と呼ばれていた地域を侵略して高皇産靈尊の曽孫にあたる天津彦彦火瓊瓊杵尊が支配した。場所は変わって、畿内では神武天皇が畿内に侵略したけれど畿内の支配者の大神倭神の血統を持つ五十鈴媛の子の神渟名川耳が大神倭神の領地を支配した。この方法で、以降の日本はどの地域のどの人物から政権を奪取したかを考えてみる。
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