2017年9月22日金曜日

最終兵器の日本古代史 物部氏の王朝

 日本の王の象徴は「璽」で璽を得ることで王位を受け継いだ象徴となる。その「璽」は先代旧事本紀に書いてあるところによれば「天神御祖」から「饒速日」が受け取るところから始まるが、これは、「饒速日」が一番最初にもらったと主張しているのであり、「長髓彥」の妹の「炊屋姬」に渡しているということは、元々「炊屋姬」の物だったと考えることができる。「先代旧事本紀」の原本が完成した守屋の時代には「饒速日」の家系の守屋が天皇だったのだから遠慮する必要がなく、元々は自分の一族が日本を支配していたのだと書いても全く問題なかった。亦の名で「瞻杵」と壱岐出身の「饒速日」が璽の所有者の「炊屋姬」を娶って「宇摩志麻治」が「東鯷国」を滅ぼして「神倭国」を建国した。
『先代旧事本紀』
「天神御祖詔授天璽瑞寶十種謂贏都鏡一邊都鏡一八握劍一生玉一死反玉一足玉一道反玉一蛇此禮一蜂此禮一品物此禮一是也」
「天祖以天璽瑞寶十種授饒速日尊」
「饒速日尊便娶長髓彥妹御炊屋姬爲妃誕生宇摩志麻治尊矣」
「饒速日尊以夢教於妻御炊屋姬云汝子如吾形見物即天璽瑞寶矣」
「饒速日尊亦名瞻杵磯丹杵穗命」

そして、紀元前88年に瀛津世襲が「神倭国」を倒して「大倭国」を建国し、「宇摩志麻治」が天皇に璽を献上したと記述された。それが天皇家の時計では池心朝御世(孝昭天皇)の時代で、大連が王朝の王の地位だった。古事記を書いた王朝がその前の物部王朝の天皇を大連とし、自王朝の政権奪取前の地位を大臣として、大臣が天皇を意味するようになったため、守屋達もそれを踏襲したのだろう。
『先代旧事本紀』
「宇摩志麻治命以天神御祖饒速日尊天璽瑞寶十種壹而奉獻於天孫大嘉特増寵異矣」
「四世孫羸津世襲命 亦云葛󠄀木彦命尾張連等祖 天忍男命子此命池心朝御世為大連供奉次建額赤」
「七世孫建諸隅命此命腋上池心宮御宇天皇御世爲大臣供奉葛󠄀木直祖大諸見足尼女子諸見巳姫生一男 妹大海姫命 亦名葛󠄀木髙名姫命礒城瑞籬宮御宇天皇立爲皇妃誕生一男二女召八坂入彦命」

物部氏は政治を司る尾張氏と神事を司る物部氏という役割分担ができ、垂仁天皇のころの大新河命から配下として政治参加し、大倭国が仁徳天皇時代に意乎巳連で滅ぼされたが「物部伊莒弗」が次の王朝の扶桑国に仕えた。
『先代旧事本紀』
「弟大新河命此命 纏向珠城宮御宇天皇御世元爲大臣次賜物部連公姓則改爲大連奉齋神宮其大連之號始」
「十四世孫尾治弟彦連 次尾治針名根連 次意乎巳連 此連大萑朝御世爲大臣供奉
孫物部伊莒弗連公 五十琴宿祢之子 此連公稚櫻柴垣二宮御宇天皇御世為大連奉齋神宮倭國造祖比香賀君女王彦媛為妻生二兒」
『日本書紀』
履中天皇二年十月 「都於磐余 當是時 平羣木莵宿禰 蘇賀滿智宿禰 物部伊莒弗大連」

大倭国は東鯷国の勢力範囲に加えて、4道侵攻時に丹波国・但馬国・高屋大分国 、倭武の侵攻で筑紫豊国・甲斐国を勢力下に加えたが、高屋大分国 ・筑紫豊国を狗奴国が支配下にしたようだ。さらに、西暦82年の豊国の九州遠征などで瀬戸内・九州を支配したが、允恭天皇の時に大倭国は政権を終えたようで、「扶桑国」が允恭天皇のとき天皇の「璽」を受け取っている。
『先代旧事本紀』
六世孫建田背命 神服連海部直丹波國造祖馬國造等祖・・・阿久良命 髙屋大分國造等祖・・・次大原足屋 筑紫豊國國造等祖・・・次大八椅命 甲斐國造等祖」
『先代旧事本紀』 景行天皇
「武國彥凝別命 築子水間君祖 神櫛別命 讃岐國造祖・・・國背別命 水間君祖・・・武國皇別命 伊与御城君 添御杖君()・・・豐門別命 三島水門君 奄智首壮 子首栗首 筑紫火別君祖・・・櫛見皇子 讃岐國造祖・・・草木皇子 日向君祖・・・弟引()命 牟宜都君祖・・・」
成務天皇 「次 息長田別命 阿波君等祖 次 五十日彥王 讃岐君等祖」
応神天皇 「次 稚沼笥二俣皇子尊 三國君等祖」
允恭天皇 「群卿日皇子將聽群臣之請今當上天皇璽符於是群臣共爲天下請寡人寡人何聽遂辞乃即帝位矣」

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