2017年9月11日月曜日

最終兵器の日本古代史 神話から読み解く王朝交代

 日本の神話の作成順は『日本書紀」→『古事記』→『旧事本紀』の順で、『日本書紀』の神様に『古事記』は天之常立神・宇摩志阿斯訶備比古遲神・神産巣日神・高御産巣日神・天之御中主神の神を付け加えた。『旧事本紀』は高御産巣日神・神産巣日神を削除して天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊を付け加えていて、夫々の王朝の母体がよくわかる。『日本書紀』の王朝は天之御中主神を母体とする『古事記』の王朝を滅ぼした王朝で『旧事本紀』の王朝は高御産巣日神・神産巣日神と敵対した狭霧尊を母体にした王朝とゆうことが解る。
『日本書紀』
「于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊」
『古事記』
「天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。次、高御産巣日神。次、神産巣日神。・・・如葦牙因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次、天之常立神。上件五柱神者、別天神 次、成神名、国之常立神」
『先代旧事本紀』
「高天原化生一神號日天譲日天狭霧國禅月國狭霧尊・・・天御中主尊 可美葦牙彦舅尊・・・國常立尊」 

すなわち、日本の史書を作成した王朝の流れは伊弉諾尊・伊弉冊尊が隠岐の島の島後に国を建国したことが始まりだ。アカホヤ噴火によって大苫邊尊・大戸之邊・大戸摩彦尊・大戸摩姫尊・大富道尊・大富邊尊を祀る六合の国が建国されその国を大日孁貴が支配して連合国を造った。その領域は恐らく隠岐の島3島と壱岐・対岐(対馬)など、天が頭に付く6島なのだろう。
『日本書紀』
・・・次國狹槌尊 次豐斟渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊〈亦曰 泥土根尊 沙土根尊〉 大戸之道尊 大苫邊尊〈一云大戸之邊 亦曰大戸摩彦尊 大戸摩姫尊 亦曰大富道尊 大富邊尊〉 面足尊 惶根尊〈亦曰吾屋惶根尊 亦曰忌橿城尊 亦曰青橿城根尊 亦曰吾屋橿城尊〉伊弉諾尊 伊弉冊尊 凡八神矣・・・
・・・號大日孁貴・・・此子光華明彩 照徹於六合之内

さらに、船を使った交易のため、大きな消費地のある傍の島々に中継国を作ってそれらの国をまとめ上げたが、 それらの国で祀られた神が泥土煮尊・沙土煮尊・大戸之道尊・大苫邊尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊で八神がいる島国である面足尊・惶根尊を祀る大八島国だ。大八島国に対抗するのが遠賀川土器を使用し、弥生時代銅鐸を祭祀に使う東鯷国となる国だったけれど、東鯷国にはまだ文字が無く神話を残すことができなかった。泥土煮尊・沙土煮尊を祀る国は泥土根尊・沙土根尊を支配下にしていて、女神の名が残るのは外来の男はその土地ではすぐに認められず、在来の姫と結婚して子ができた時、その子の男女が王として祀られることを表している。さらに面足尊・惶根尊も同じで吾屋惶根尊・忌橿城尊が青橿城根尊・吾屋橿城尊の国を奪った国(八国)を奪った。 泥土煮尊・沙土煮尊を祀る国が大八島国の支配者だった大戸之道尊・大苫邊尊を祀る神倭国から奪って大倭国を建国して、さらに豐斟渟尊を祀る扶桑国そして國狹槌尊を祀る秦王国、蘇我氏の失政で史書を残せず、さらに國常立尊を祀る倭国内の変遷が有って、中臣王朝は神話の変更を行わなかった。
 そして、扶桑国の史書である『古事記』は天之常立を祀る神倭国から国を奪った 宇摩志阿斯訶備比古遅を祀る大倭国から高御産巣日神・神産巣日神を祀る壱岐を出自とする天之御中主を祀る豊国(中国)が王朝を立てて扶桑国を標榜して、秦王国の末裔の史書の『先代旧事本紀』は天譲日天狭霧國禅月國狭霧尊を祀る国だった。『日本書紀』は穴穗(安康)天皇までを扶桑国が書き、泊瀬部(崇峻)天皇までを秦王国が、息長足日廣額(舒明)天皇までを蘇我王朝が書いた。乙巳の変と大化以外の天命開別(天智)天皇までを天氏(天武天皇)が書き、乙巳の変と大化と天武天皇以降を中臣氏の元明天皇が付け加えた。

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