2026年6月24日水曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代  推古天皇の時代、〝日本″はひとつではかった3

  崇峻天皇・用明天皇の崩御日も『古事記』と数日のズレ。薬猟と同じように、推古天皇の『古事記』での崩御日は太陽暦なのか? 一方、日本の暦では、「日干支」を使った。神代の物語にも登場するほど、深く根づいた〝時間の音階″。この混在は、ただの未整理ではない。複数の暦が、複数の王朝で、生きていた証である。

俀国、倭国、秦王国、それぞれが、異なる歴史の軸に立ち、異なる暦で時を刻み、異なる名前を持って、ひとつの「日本」の影に、静かに息づいていた。そして唐の時代。史書に残る〝日本″は、ただ一つ、倭国。俀国も、秦王国も、姿を消した。それは、ひとつの統合の記憶。倭国が他を吸収し、やがて〝日本″と名乗るまでの物語。そうして編まれたのが『日本書紀』。勝者の王権が、自らの記録を「日本の歴史」として語り始めた。『古事記』は、その影で、もうひとつの視点をそっと残した補助線であったのかもしれない。

異なる暦。異なる王名。異なる死亡日。異なる国号。そして異なる太陽の下に。それぞれの〝日本″が、それぞれの時間の中で、歴史を刻んでいたようだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿