天皇は一人、死亡日は違うはずがない。
長く日本の歴史は、「天皇の系譜」という一本の線で描かれてきた。その線をなぞる筆先には、いつも二つの史書、『日本書紀』と『古事記』が。どちらにも、同じ名前の天皇たちが登場する。しかし、そこに奇妙な揺らぎがある。彼らの亡くなった年が、まるで一致していない。たとえば、崇神天皇。『日本書紀』では辛卯年、前30年。『古事記』では戊寅年、前43年? その差、13年も。「書き間違えただけ?」そう思いたくなるが、このずれは彼だけではない。
成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、その〝死″の記録は、まるでバラバラ。差は10年、20年、時には30年超。仁徳天皇は、32年もの差が生まれてしまった。もしどちらの記録も正しいなら彼らは本当に、同じ人物だったのか? そんな問いに、静かに首を振るかのように、ただ一人、例外が現れる。推古天皇、彼女の記録は、表記の違いがあるが、日干支が一致している。暦の形式が違うだけで、「同じ日」を指している可能性が高い。
それはつまり、推古天皇より前の天皇たちは、名前が同じでも、実際には「別人」だった可能性があるということである。たとえば、崇峻や用明もまた、数日の差がある。実は同じ日? やはり、暦が違うだけ? 推古に近づくにつれ、記録の整合性が増す。まるで、歴史が一本の軸に寄り集まってくるかのように。しかし、なぜ、こんなズレが生まれたのか。
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