2025年3月21日金曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話22 記録のある太子達

  膽咋の妃の比咩古以降の3妃は『古事記』で「負太子之名」の母達と考えられた。『古事記』の太子なのだから、御真木入日子や、伊久米伊理毘古や、大帯日子を継承した大臣である。

五百木之入日子は子が品陀真若、その娘の高木之入日賣が応神天皇尾綱根の妃である。中日賣は大雀を婿に迎えるのだから石之日賣の父の曾都毘古が妃である。すなわち、五百木之入日子は御真木入日子を継承し、尾綱根大臣が戊寅の年318年の十二月に崩じた。

大帯日子を継承したと考えられる若帯日子・建内宿禰大臣は乙卯の年355年の三月十五日に崩じた。すると、残った伊久米伊理毘古を継承した、倭建は印葉大臣が壬戌の年362年の六月十一日に崩じたと考えられる。

河俣稻依毘賣の夫は建部君の祖の稻依別(息長宿禰)で、子が多遅麻纏向大連の大多牟坂である。息長宿禰の妃に葛城の高額比賣が存在するが、娘の息長帶比賣は382年に薨じ、世代が異なる。

稻依別の義兄弟の弟橘媛の子に息長田別が存在し、子が杙俣長日子で、その娘の飯野眞黒比賣が須賣伊呂大中日子を生む。須賣伊呂大中日子は額田大中日子と考えられ、眞黒比賣が高木之入日賣である。大雀は中日賣の子なので、弟日賣の子が宇遲能和紀郎子の可能性が高い。

息長眞若中比賣の子に若沼毛二俣が存在し、弟日賣(眞若比賣)を妃にして、忍坂大中津比賣を生んでいる。『日本書記』は若沼毛二俣の母が弟媛で、すなわち、若沼毛二俣は弟日賣の娘の弟日賣(眞若比賣)の婿である。それは、河派仲彦が義父、比布禮(多遅麻)は纏向から仲国(曲浦)、そして、畿内に遣って来た。

尾綱根は三皇子に仕え、すなわち、三皇子大臣だった。それが、高木之入日賣の子の大中日子と中日賣の子の大雀と弟日賣の子の宇遲能和紀郎子(?若沼毛二俣)なのだろう。そして、その皇子達が尾治弟彦・宇遲能和紀郎子、尾治針名根・大中日子、意乎巳大臣・大雀である。

高穴穂宮朝は景行・成務・神功(仲哀含む)と3朝の間の政権で、膽咋大臣(五百木・兄比賣の家系)、武内大臣(若帯日子・仲比賣の家系)、比布禮(倭建・弟比賣の家系)の大臣が太子の名を負ったと記述される三柱の天皇だった。

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