2025年3月12日水曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話18 皇太弟大中日子

  須賣伊呂大中日子は十市根で、妃が八坂之入日賣と解ったが、十市根の親は父が伊迦賀色許男、母が長溝の娘であり、長溝は山代の内臣の祖の味師内宿禰と考えられる。須賣伊呂大中日子は『古事記』では倭建の子の仲哀天皇と同世代の若建の子となっているが、娘が迦具漏比賣で娘婿が景行天皇とされ、矛盾する。

迦具漏比賣の子が大枝(大江・大兄)、その彦人大兄と銀王の娘が大中比賣である。大中比賣の夫が仲哀天皇で弟橘比賣と倭建の子の若建は兄弟で、若建の子が皇太弟の大中日子、すなわち、応神天皇の後継者になったと述べている。

大中日子・大中比賣は師木玉垣宮の皇女の大中姫、彦人大兄の娘の大中姫、輕島明宮の皇子の額田大中彦、允恭妃の忍坂大中比賣が存在した。『古事記』はそれらの大中日子・大中比賣を混乱して理解したと考えられる。特に額田、忍坂を頭に付加していない大中日子が区別できていない。大中日子・大中比賣は200年続いた氏族と見做した。そして、『日本書紀』・『舊事本紀』が大中姫を『古事記』が大中津日子と記述するように大中日子・大中比賣はペアの様だ。

大中日子・大中比賣がペアとなるのは、土地や支配地を名に冠するのだから、当然の帰結で、天之常立・国之常立、伊邪那岐・伊邪那美など枚挙にいとまがない。師木玉垣宮の皇太弟の大中日子は尾張三野別の祖、その妃の八坂之入日賣は三野の王の姫である。景行世代の大中日子が十市根、垂仁世代は初代十市根の大根、妃が十市之入日賣、その子が二代目十市根、妃が八坂之入日賣・大中比賣と私は理解した。大根と十市根の違いは、師木王か穴穂王かの違い、垂仁八十七年大中比賣への神寶譲渡で切り替わった。

日子坐の三世孫の大陀牟()別が髙穴穗朝の首都の国造、すなわち、天皇になった。日子坐は崇神朝の伊迦賀色許男、子が八坂之入日子、孫が八坂之入日賣なので、須賣伊呂大中日子が高穴穂天皇である。すなわち、十市根と八坂之入日賣の子の太子の五百木之入日子も高穴穂天皇となる。

0 件のコメント:

コメントを投稿