2023年5月8日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 孝元天皇

  孝霊天皇の最大の権力者は皇后の姻戚の尾張氏の建斗禾だった。建斗禾の子の建田背は「丹波國造但馬國造等祖」と記述される。丹波・但馬は大国、大国・三国の王の大神の大御氣主は大倭國民磯姫を妃にしている。大倭國民磯姫は天戸目の娘と考えられる。大御氣主は(山背)紀伊名草姫の子である。天戸目の子の建斗禾も(山背)紀伊國造智名曽の妹の中名草姫を妃にしている。すなわち、実質の最高権力者に木国(山背の紀伊)王が含まれる。すなわち、二王家が朝廷内の覇権争いをしている。

 孝霊天皇は『日本書紀』では兄弟がいないが『古事記』には大吉備諸進という兄弟が記述された。当然、大吉備諸進は剱根の家系の継承者ではなく、尾張氏の影響下の人物だ。同様に孝霊天皇の妃で、『日本書紀』に記述されない春日の千千速眞若比賣が『古事記』に記述される。当然、この妃も尾張氏と姻戚の妃だろう。春日は開化天皇の首都でなので、開化天皇は尾張氏と姻戚の葛木氏が皇位を奪取したことが類推される。そして、天忍人・波延の娘の繩伊呂泥と蝿伊呂杼の子に大吉備津日子と若建吉備津日子が記述される。すなわち、孝霊天皇の兄弟と見做された大吉備諸進の子と考えたほうが理に適う。すなわち、尾張氏と姻戚の葛木氏は若狭・野洲・根・河内・播磨・吉備が支配領域である。

 これは、剱根の後裔の孝霊天皇が尾張氏に実権を握られてしまったことになる。当然、それに対抗するため、大国で大神を祀っている大矢口宿祢と協力して、対抗したと思われる。大国の御眞津には尾張氏に追放された葛木氏の御眞津日子は物部氏と姻戚関係だったと考えられる。大科度美が天狹霧の娘の遠津待根を妃にした説話だ。出雲醜大臣の妃の倭志紀彦の妹は和知都美の父の葛木氏と思われる。出雲醜大臣は建甕槌を葛木氏の力を借りて追い出し大国の王、大臣になった。そして、孝元天皇は大矢口宿祢の娘の内色許賣を妃にした。兄の内色許男は大臣の大国王、すなわち、中国・但馬・丹波大国・三国が勢力圏だ。そして、天皇の勢力圏は木国・師木・葛木だ。更に、内色許男の娘の伊迦賀色許賣も妃にし、内色許男の甥の伊迦賀色許男と大毘古に皇位を奪われた。

  『舊事本紀』には「七年春二月欝色謎命立為皇后」と日干支を記述していない。しかし、『日本書紀』には「二月丙寅朔丁卯立欝色謎命爲皇后」と正しい日干支を記述している。すなわち、この時には、まだ、物部氏は暦の記録を、まだ、得ていないことを意味する。

 前214年、春正月辛未朔の「太子即天皇位」は「春辛未朔を春辛未晦」とおそらく記録してあった。それを、12月の辛未朔と変化したと思われる。前211年、春三月甲申朔甲午の「遷都於輕地」は甲申朔が甲申晦と記述されていたと思われる。前209年、秋九月戊戌朔癸卯の「葬大日本根子彦」は己亥朔を己亥晦と記録されていて、戊戌晦なのに、戊戌朔と記述したと思われる。そして、前208年、二月丙寅朔丁卯に欝色謎が皇后になって、尾張氏が継承した大神を祀る内色許男大臣の正しい朔の暦になったようだ。従って、九月壬申朔癸酉の「天皇崩」も正しい朔である。

 内色許男は師国王師子の配下の内王を意味し、師木の伊迦で生れた娘が伊迦賀色許賣を意味する。それで、伊迦賀色許賣の子の比古布都押之信も子が内臣だ。比古布都押之信の子は味師内宿禰と建内宿禰で山背の王になった。それで、内色許男に代わって、大綜杵の子の伊香色謎・伊香色雄兄弟が師木の天皇になった。


0 件のコメント:

コメントを投稿