2023年5月15日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 崇神天皇1

  開化天皇の時、若倭根王朝と大国王朝が分裂した。内色許男の妃は活目長砂彦・那賀須泥毘古の妹の芹田真稚姫である。御炊屋姫は神国の御()河、野洲()王朝の師木の姫の意味、内色許男は山背の内、師国の神子の子達の意味だろうか。大物主の子の大田田祢古は河内にいて、生駒と同地域だ。そして、御真木にいた葛木氏が長砂彦に替わって伊久米・生駒に入ったようだ。生駒は根国の中心地で、そこの王の長砂彦は内色許男の時代は大倭根子の皇太子と考えられる。すなわち、天皇は物部氏の妃、内色許男は天皇の娘を妃にし、内色許男が皇位を奪取した。

 また、大毘古は大国王の意味で、大臣を意味し、大国主・大縣主も同じ意味だ。大縣主は雄略記に「志幾大縣主」が記述されるように、師木の天皇が襲名した。師木に大神を祀ったからと思われる。五十琴が磐余の事代、社の場所と述べた通り、大和川が「い」河と考えられた。すなわち、大毘古は大「い河」彦と考えられ、大伊賀彦とも呼ばれたと思われる。大伊賀彦の娘の大伊賀姫は建諸隅の子の倭得玉彦の妃だ。開化天皇は旦波の大縣主の由碁理の娘の竹野比賣を妃にしているが、大縣主は大臣と思われる。すなわち、大綜杵大臣で、大伊賀彦・大毘古は『古事記』に記述されない伊香色雄の可能性が高い。伊香色雄は山代縣主の祖の長溝の娘2人と倭志紀彦の娘を妃にしている。そして、垂仁天皇は佐波遲比賣の他に山代の大國の淵の娘2人を妃にして、構成が似ている。垂仁天皇は『古事記』では師木、『舊事本紀』では纏向に首都を置いている。そして、『舊事本紀』の伊香色雄の子が纏向大連で弟の建新川は倭志紀縣主の祖、『古事記』の首都志紀の王の天皇、倭志紀彦も天皇で倭得玉彦と思われる。すなわち、物部大毘古天皇は新しい志紀天皇の娘を妃にし、志紀天皇は大毘古・大伊賀彦の娘を妃にして、志紀天皇が皇位を奪取した。

 葛木氏の御眞津日子は師木津日子と記述されるように、渟名底仲媛を皇后とする神屋王朝配下の師木王だったが、天忍人に追い出されて、御眞津に逃れた。すなわち、師木津日子は倭志紀彦で、妹の真鳥姫が大国王の出雲醜の妃になったので、それを頼ったと思われる。出雲醜の弟に出石心がいて、天忍人の妃が葛木の出石姫、同じ地域の生れの姫である。その縁で内色許男が師木に、大毘古・御真木入日子が御眞津に入ったと考えられる。


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