御真木入日子が御眞津比賣を妃、すなわち、婿入りして御眞津日子を継承した。対照的に、御真木入日女に御眞津日子が婿入りして、御真木入日子を継承したと考えられる。同じ国の集落に住む限り、同じことが代々50から100年程度繰り返される。出雲大社が60年毎に式年遷宮を行うのは、宮を造ると、祖神、神子、神孫が住む。60年位経過すると、神孫が死亡する頃にあたるからなのだろう。その頃になると、分家との勢力争いで、一番勢力の強い宮が取って替わる。そして、神孫の子たちは、新しい宮を造り、遷宮となる。 伊勢神宮は20年、一人の王の世代交代を示すのだろう。
従妹・従弟婚が続くと、遺伝的に不具合発生頻度が高くなるので、長続きしない。それで、外部から新しい婿を入れて存続させられる。その婿は、より強力な王族の子を招き入れ、結果的に、その王族の血統に入れ替わることになる。男子は祖母の兄弟の娘、母の兄弟の娘、さらに、自身の妻の兄弟や娘婿と、より強大な家系が実権を握ることになる。
同じように、十市根は尾張氏の武諸遇の娘時姫を妃にした。おそらく、大海姫の娘の名前から考えると、十市之入日賣を妃にした。そして、倭志紀縣主の祖の弟建新川が印色入日子の妹の大中姫を妃にした。それによって、師木朝廷を奪取したと思われる。すなわち、天皇十市根の弟建新川が、須賣伊呂大中日子である。58年の「石上神寶盖是其縁」はその説話で、首都が纏向に統合された。『古事記』は娘婿の大中津日子を実子に含めたように、夫婦は一人の子と見做したようだ。
長女は跡取り、長男は長女の婿の妹に婿入り、次男以降は他家の婿になるため、大帯日子は葛木氏に婿入りしたと思われる。すなわち、襲名した伊久米伊理毘古の比古布都押之信が竟富那毘の妹、葛城之高千那毘賣の婿になった。尾張連の祖の奧津余曾・葛木彦が大倭根子、物部氏は葛木彦を大新河と呼び、大連・天皇に即位した。大新河の名の由来は、出石心の妃の新河小楯姫からと思われ、穂積臣の大水口宿祢を生む。そして、大綜杵や内色許男を生む。これらの人物が新河を継承したと考えられる。
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