2022年2月9日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』孝霊天皇類書2

  前項の続き。

そして、皇后細姫の父は「十市縣主之祖大目」と将来十市縣主になる大目、この大目はまだ役職が無い、天皇と理解され、賦斗迩は伯父の天皇大目から天皇を引き継いだことが解り、『日本書紀』では大目が「磯城縣主大目」と、首都が磯城の黒田廬戸宮で、磯城縣主イコール天皇で、葛城氏が大倭足彦の配下だった時、大目(天戸目)が天皇で、孝霊天皇の時、葛城氏が天皇磯城彦大倭根子となって、大目(戸目)の子は十市縣主建斗禾(戸目)と戸目 を襲名した。

この、前290年建国の葛城王朝が『漢書』の「會稽海外有東鯷人分為二十餘國」と二十余国を配下にする東鯷国でそれ以前は三国が支配する孔子があこがれた『後漢書』の「東方曰夷夷者抵也言仁而好生萬物抵地而出故天性柔順易以道御至有君子不死之國焉」と記述する君子が代々引き絶えずに継ぐ「君子の國」があった。

『三国志』の倭の1国が方三・四百里、国境間距離が百里の20~25Km四方で、凡そ東鯷国は100~130Km四方の国と想定でき、福井県敦賀から兵庫県但馬の豊岡、滋賀県、奈良県、大阪府の領域となり、君子国はその東の地域が領域となる。

『舊事本紀』には「十市根・・・弟建新川命倭志紀縣主等祖・・・弟物部印岐美連公志紀縣主遠江國造久努真佐夜直等祖」と、十市根の兄弟が磯城縣主の祖で、その磯城には雄略朝時に大縣主が住み、物部氏の神武天皇は垂仁の時にはまだ、賜姓されていなくて、その後に、「神武天皇・・・詔弟磯城黒速曰汝有兄磯城逆賊之機首奏之勇因裔為磯城縣主矣」、「國造本紀・・・志貴縣主兄磯城以弟磯城爲志貴縣祖」と神武天皇、物部氏の神武天皇は垂仁天皇が現れて、磯城縣主となった。

そして、「出雲醜大臣命倭志紀彦妹真鳥姫爲妻」、「伊香色雄命倭志紀彦女真鳥姫爲妾」と孝安天皇・葛城氏の磯城朝廷と姻戚となり、大国王の大臣の瀛津世襲・葛󠄀木彦が孝安天皇の皇太子、すなわち、この時から、大臣は王朝の男系が途切れた時に、天皇位を受け継ぐ人物となり、葛󠄀木王朝となった時、磯城王の妹真鳥姫の夫の出雲醜がそのまま大臣と言い、葛󠄀木王朝のあと欝色雄・伊香色雄が王朝を引き継ぎ、葛城王朝が前158年に倒れて物部春日王朝辰国となり、前97年に磯城王朝と変わり、『漢書』に「辰國欲上書見天子又雍閼弗通元封二年」と春日朝時の前109年に上書を送っている。

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