2022年2月18日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』孝元天皇類書2

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は「大倭根子日子國玖琉命坐軽之堺原宮治天下也此天皇娶穂積臣等之祖内色許男命妹内色許賣命生御子大毗古命次少名日子建猪心命次若倭根子日子大毗々命二(三)柱又娶内色許男命之女伊迦賀色許賣命生御子比古布都押之信命又娶河内靑玉之女名波迩夜須毗賣生御子建波迩夜須毗古命一柱此天皇之御子等并五柱故若倭根子日子大毗々命者治天下也其兄大毗古命之子建沼河別命者阿倍臣等之祖次比古伊那許志(支)別命此者膳臣之祖也比古布都押之信命娶尾張連等之祖意富那毗之妹葛城之高千那毗賣生子味師内宿祢此者山代内臣之祖也又娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子建内宿祢此建内宿祢之子并九男七女二波多八代宿祢者波多臣林臣波美臣星川臣淡海臣長谷部之君之祖也次許勢小鞆(柄)宿祢者許勢臣雀部臣軽部臣之祖也次蘇賀石河宿祢者蘇我臣川邊臣田中臣高向臣(小)治田臣桜井臣岸田臣等之祖也次平群都久宿祢者平群臣佐和良臣馬御樴連等祖也次木角宿祢者木臣都奴臣坂本臣之祖次久米能摩伊刀比賣次怒能伊呂比賣次葛城長江曽都毗古者玉手臣的臣生江臣阿藝那臣等之祖也又若子宿祢江野財臣之祖此天皇御年伍拾漆歳御陵在釼池之中岡上也」、【大倭根子日子國玖琉は、輕の堺原宮で天下を治めた。この天皇は、穗積臣の祖の内色許男の妹の内色許賣を娶って、生んだ子は大毘古。次に少名日子建猪心。次に若倭根子日子大毘毘の三柱。内色許男の娘の伊迦賀色許賣を娶って生んだ子は比古布都押之信。又、河内の青玉の娘の波迩夜須毘賣を娶って、生んだ子は建波迩夜須毘古の一柱。この天皇の子は併せて五柱だ。それで、若倭根子日子大毘毘は、天下を治めた。その兄の大毘古の子建沼河別は、阿部臣の祖。次に比古伊那許士別は膳臣の祖だ。比古布都押之信は尾張連の祖の竟富那毘の妹、葛城之高千那毘賣を娶って生んだ子は、味師内宿禰。これは山代の内臣の祖だ。又、木國造の祖の宇豆比古の妹、山下影日賣を娶って、生んだ子は建内宿禰。この建内宿禰の子は併せて九人。男七、女二。波多八代宿禰は波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君の祖だ。次に許勢小柄宿禰は、許勢臣、雀部臣、輕部臣の祖だ。次に蘇賀石河宿禰は、蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等の祖だ。次に平群都久宿禰は、平群臣、佐和良臣、馬御樴連の祖だ。次に木角宿禰は、木臣、都奴臣、坂本臣の祖。次に久米能摩伊刀比賣。次に怒能伊呂比賣。次に葛城の長江曾都毘古は、玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣の祖だ。又、若子宿禰は、江野財臣の祖。この天皇の年は伍拾漆歳だった。陵は劒池の中の岡の上に在る。】と訳した。

大国は大峯大尼、武建大尼と宗教上の王が受け継がれ、大彦が大国の王となり、皇位後継者としての大臣は尾張氏の十市縣主の髙屋大分國造の祖の建弥阿久良の娘の髙屋阿波良姫を妃にした大綜杵が受け継ぎ、子の伊香色雄、その子の大新河へと受け継がれた。

葛城氏は稚日本根子彦大日日と呼ぶように若狭と八国王、大彦は大国王、少名日子は小国王、建波迩夜須毘古は河内の青玉の孫なのだから河内王と大和盆地から追い出され、大和盆地は内色許賣・伊迦賀色許賣兄弟に奪われたようで、『舊事本紀』に「乘天磐舩而天降坐於河内國河上哮峯則遷坐於大倭國鳥見白庭山天降」と河内と大倭国の鳥見は隣り合わせで、神武東征で五瀬が負傷したのは茅淳で河内の近辺で、波迩夜須毘古が鳥見である。

そして、磯城彦は崇神天皇が磯城に首都を置いたのだから、崇神天皇が磯城彦で、『古事記』には磯城縣主の祖は記述されるが、磯城縣主は存在せず、崇神天皇の時に第二の神武侵略があって、高倉下が神祖の尾張氏は剱根が神祖の葛城氏、宇迦斯が神祖の宇豆比古、弟磯城の大彦の助けを得て、兄磯城や弟磯城の姻戚の物部氏を磯城朝廷から排除したと考えられる。

それは、伊香色雄が『舊事本紀』に「遷建布都大神社於大倭國山邉郡石上邑・・・天璽瑞寶同共蔵」と、鳥見彦の戦いの時に天皇の璽を葛城氏から奪い、伊香色雄は河内の鳥見彦・長髄彦・埴安彦の義兄弟で、布都大神は事代主→天日方奇日方→建飯勝→建甕槌で高倉下が建甕槌から受け取った釼が韴(ふつ)靈(みたま)、この剱を祀ったのが葛城氏の剱根である。

そして、伊迦賀色許賣の子が布都押之信と伊香色雄の甥にあたり山代王を子に持ち、内臣と考えられる建内宿禰の義父の宇豆比古は木国王になり、建内宿禰の子の木角宿禰も木国王と記述され、建内宿禰は葛城氏・物部氏・和珥氏でもある。

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