2022年2月23日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』孝元天皇類書4

  前項の続きである。

『古事記』・『日本書紀』・『舊事本紀』で皇子の人数が異なり、『古事記』は大毗古・少名日子建猪心・若倭根子日子大毗々・比古布都押之信・建波迩夜須毗古、『日本書紀』は大彦命・稚日本根子彦大日日・倭迹迹姫・彦太忍信・武埴安彦、『舊事本紀』は大彦・稚日本根子彦太日日・彦太忍信・武埴安彦・倭迹々姫で、『古事記』のみ異なる。

彦太忍信と思われる、『日本書紀』・『舊事本紀』と異なる『古事記』の少名日子建猪心は『日本書紀』に倭迹迹姫命の一云に「天皇母弟少彦男心命也」と皇太后細媛の妹が倭迹迹姫でかつ少彦男心と記述して、男女を混同しているが、細媛は『古事記』に十市縣主の祖の大目すなわち十市縣主建斗禾の親の天戸目の子と考えられ、細媛の兄弟は建斗禾、または、建斗禾の妃の紀伊國造智名曽妹中名草姫の義姉妹と考えられる。

紀伊国造は紀伊国が『古事記』では紀国と記述され、神武朝以外で紀伊国が出現せず、『日本書紀』の神武朝の紀伊国は紀国で崇神朝に初めて『日本書紀』で「紀伊國荒河戸畔」が出現し、以降頻出しするが、『古事記』の「木國造名荒河刀弁」、「自木國到針間國」、「木國之酒部阿比古宇陀酒部之祖」で、紀伊は本来「木」の可能性が高く、木角宿禰は木臣の祖なので木國が正しいと考えられ、木國造宇豆比古本人若しくは親が智名曽である。

ちなみに、『舊事本紀』は倭迹迹を倭迹と記述して、大海姫を大倭姫と記述しているので、倭迹は海迹(あまと)で、そうすると、『日本書紀』の倭迹迹も「あまと」と読むべきで、『古事記』は『日本書紀』の読みで、倭迹を「夜麻登」と読み倭迹迹を「夜麻登登」と読んだのだろう。

また、少彦建猪心と類似する屋主忍男武雄心も不明な人物で、『古事記』には倭迹迹姫と同様出現せず、建内宿禰の親が不明になったが、少彦建猪心が細姫の妹の倭迹迹姫を妃にして一心同体の人物と記述し、その娘が比古布都押之信の妃となって忍男武雄心を産んだのではないか。

味師内宿祢の母の尾張連等之祖意富那毗之妹葛城之高千那毗賣は(建)宇那比(節名草姫おそらく智名曽の娘を妃)・宇那比姫と細姫・建斗禾の兄弟である。

比古布都押之信は竟富那毘の妹の高千那毘賣も妃にして味師内宿禰を産み、高千那の千那は智名曽の智名と同音で、竟富那毘が宇那比の義父と考えると智名曽が義父で、智名曽の子が宇豆比古と考えられ、その妹の影姫と武雄心が建内宿禰を産んだと考えられる。

景行天皇3年に「屋主忍男武雄心命詣之居于阿備柏原・・・住九年則娶紀直遠祖菟道彦之女影媛生武内宿禰」と記述され、(少名日子)建猪心は小国→屋国と領地が変わりながら襲名し、『舊事本紀』には欝色雄大臣の子が武建大尼、その子が建膽心大祢と同名の人物が欝色謎の系図に現れ、伊香色謎の兄伊香色雄は山代縣主祖の娘を娶り、伊香色謎の子の比古布都押之信の子味師内宿禰は山代内臣の祖で、まさに、欝色雄・伊香色雄が自分の姻戚に領地を与える天皇である。

欝色雄と欝色謎、その子大彦や伊香色雄が朝廷春日王朝の時代の前109年には『漢書』「辰國欲上書見天子又雍閼弗通元封二年」のように、辰国が漢に上書を送り、大彦は『日本書紀』に「大彦命是・・・阿倍臣膳臣阿閇臣狹狹城山君筑紫國造・・・伊賀臣凡七族之始祖」と記述され、『舊事本紀』の「筑志國造志賀髙穴穗朝御世阿倍臣同祖大彦命五世孫日道命」と実際に筑紫国造になった。

尾張王朝に対する志賀髙穴穗朝の大彦の末裔日道・物部王朝が筑紫の王と記述され、『後漢書』の「其大倭王居邪馬台國」・「有似秦語故或名之為秦韓」、物部・大彦王朝が秦国と『三国志』の韓に「有似秦人非但燕・・・今有名之爲秦韓者」と中国語(燕語)でない秦語、朝鮮語は秦語すなわち日本語に近いと中国人でも燕人でもない秦人・大倭人が馬韓・辰韓・弁辰・倭奴国を配下に置いていたようだ。

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