2019年3月29日金曜日

最終兵器の目 三貴子4

  『日本書紀』慶長版は続けて
如吾所生是女者則可以爲有濁心若是男者則可以爲有清心於是天照大神乃索取素戔嗚尊十握剱打折爲三段濯於天真名井然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰田心姫次湍津姫次市杵嶋姫凡三女矣
【すなわち、もし私(素戔嗚)の生む子が女ならば、邪心が有りと思ってください。もし、男ならば、邪心がない思ってくださいと言って、天照大神は乃ち素戔嗚尊の十握劒を探し取って、打ち折って三段とし、天眞名井で口をしきりに噛みに噛んで濯ぎ、吹き散らした狹霧から生れた神は、なづけて田心姫という。次に湍津姫、次に市杵嶋姫ですべてで三人の女を生んだ。】とある。
さらに、『日本書紀』慶長版は
既而素戔嗚尊乞取天照大神髻鬘及腕所纒八坂瓊之五百箇御統濯於天真名井然咀嚼而吹棄氣噴之狹霧所生神號曰正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊次天穗日命次天津彥根命次活津彥根命次熊野櫲樟日命凡五男矣
【次に素戔嗚尊は天照大神の髻鬘及び腕に纏いた八坂瓊之五百箇御統を乞い取って、天眞名井で口をしきりに噛みに噛んで濯ぎ、吹き散らした狹霧から生れた神は、なづけて正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊と曰う。次に天穗日命、次に天津彦根命、次に活津彦根命、次に熊野樟日命すべてで五人の男を生んだ。】とある。
狹霧から子たちを生むのだが、この説話にピッタリの人物が『舊事本紀』の主神の「天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊」で「狭」国は対馬の可能性が高いと既に述べた。
続けて『日本書紀』慶長版は、
是時天照大神勅曰原其物根則八坂瓊之五百箇御統者是吾物也故彼五男神悉是吾兒乃取而子養焉又勅曰其十握剱者是素戔嗚尊物也故此三女神悉是爾兒便授之素戔嗚尊此則筑紫胸肩君等所祭神是也田心姫凡三女神矣已而素戔嗚尊以其頸
【是の時に、天照大神が詔勅して、「其の物の根源は、則ち八坂瓊之五百箇御統は、吾が物だ。だから、その五人の男神は、全て私の子だ」。乃ち子を取って養なった。又、詔勅して、「その十握劒は、素戔嗚尊の物だ。だから、此の三人の女神は、すべてお前の子だ」。すなわち素戔嗚尊に授けた。此れが則ち筑紫の胸肩君等の祭る神がこれだ。】とある。
すなわち、素戔嗚が祀る神は胸肩神で、「高天原」はこれより「素戔嗚」の子たちが治めることになったいきさつが書かれている。
「高天原」は「天照大神」の子たちでなければ纏まらないから、「天照大神」の子たちが王となり、更に、その姫が「高天原」の神となって「天照大神」を襲名するのである。
『古事記』前川茂右衛門寛永版は「八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而」と、『古事記』・『日本書紀』共に「八坂瓊」は既に「天照大神」が持っているが、
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は、「素戔鳥尊將昇天時有一神號羽明玉此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉矣」と「羽明玉」が「八坂瓊」を献上しており、これは、王の璽は玉神・魂神と言われる神がこれまで持って治めていた「八坂瓊」、すなわち、「八」国の坂の様にスロープがある瓊が王の璽で素戔嗚が「八国」に代わって新しく王朝を建てたということを意味している。
そして、『古事記』・『日本書紀』は、すでに、「八国」から璽を奪っていて「大国」の中の「八国」の「大八国」と呼んでいたと国生みで記述してきたのである。
そして、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は、「天照太覆遣天熊人命見・・・水田種子因定天邑君即以其稻種始殖于天狹田」と、水田の開始を天照大神の事績にしているが、「天狹田」は月夜見の国対馬の話である。

2019年3月27日水曜日

最終兵器の目 三貴子3

  『日本書紀』慶長版は
始素戔嗚尊昇天之時溟渤以之鼓盪山岳爲之鳴呴此則神性雄健使之然也
【素戔嗚が姉の元の「天」にやってきた時、素戔嗚は広い海を打ち震わせ、山鳴り起こすかのように息を吹きかけ、すなわち、神のように 力強くさせた。】と、まさに、日本海の冬を思わせる景色で、素戔嗚を天国は恐々と迎えたのだろう。
そして、『日本書紀』慶長版は
天照大神素知其神暴惡至聞来詣之狀乃勃然而驚曰吾弟之来豈以善意乎謂當有奪國之志歟夫父母既任諸子各有其境如何棄置當就之國而敢窺窬此處乎
と、大国の「大日孁貴」から登場人物が天国の「天照大神」に神話の王朝勢力が変わり、「三身国(日国)」の後ろ盾で大国を建国し天国の勢力も追い出し、後ろ盾の日国の出先の「素」にいた「佐野男」が攻め込んできたのだろう。
「素戔嗚」の暴虐さの素性を知っていたので、上述のように天国にやってきた様子を聞き顔色を変えて驚いて、【弟が来たのは良い心根でやってきたのか、それとも、国を奪おうと思ってきたのか、両親は既に諸事を子に任せ、境界も出来、与えられた領国を棄てて我が領国の隙を伺うのか】と言った。
『日本書紀』慶長版は
乃結髮爲髻縛裳爲袴便以八坂瓊之五百箇御統纒其髻鬘及腕又背負千箭之靫與五百箭之靫臂著稜威之髙鞆振起弓彇急握剱柄蹈堅庭而陷股若沫雪以蹴散奮稜威之雄誥發稜威之嘖讓而俓詰問焉
【すなわち八坂瓊之五百箇御統でその髻鬘(髪に巻きつけて飾り)にし、そして腕にまき、又、背には千箭之靫と五百箭之靫を負い、肘に稜威之高靹を著け、弓を振りあげて、剱の柄を急いで握り、固い地面を蹈み、股を踏ん張って、土を沫雪の様に蹴散し、神聖な雄叫びで奮いたち、神聖な威圧で問い詰め、すなわち、今にも掴みかからんばかりで問い詰めた。】とある。
それに応えて、『日本書紀』慶長版は
素戔嗚尊對曰吾元無黑心但父母已有嚴勅将永就乎根國如不與姉相見吾何能敢去是以跋渉雲霧遠自来參不意阿姉翻起嚴顏于
【悪い考えは元々持ってなく、ただ、父母の私に対する嚴命が有って、ずっと根の国に就こうとしている。姉と会わずに去ることが出来ましょうか。だから、これで雲のような霧を踏み分けて、遠くからやって来ました。それなのに、姉の顔色を見ると怒っています。】と応えている。
それに対して姉天照大神は質問して『日本書紀』慶長版に
時天照大神復問曰若然者将何以明爾之赤心也對曰請與姉共誓夫誓約之中必當生子如吾所生是女者則
【それならば、どうやってお前の良い心根を明かすのか】とある。
それに對えて、【姉と共に請願したい。それで誓約して、必ず子を生もうではありませんか。】とある。
ここで、既に勝負はついて、素戔嗚の勝ちで、天照大神が勝っていたら追い散らせばよいし、子を産む必要など無く、ここに、天国は日国の支配下となった。
『古事記』前川茂右衛門寛永版も
伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也故於是速須佐之男命言然者請天照大御神將罷乃
と、この場面で急に滋賀県に飛ぶのは意味が通らず、この須佐之男は「速」国の配下なので、速国の淡海に「伊耶那岐」がいて、香椎宮は汽水域だったようなのでまさしく淡い海と呼べ、対岸に志賀島が有り、この地域を「賀」と呼んだのだろうか。
汽水域などは日本中にあり、『日本書紀』の神話は黄海から日本海説話で、中国で「倭・大人国・君子国・三身国」と呼ばれる地域の日本海側の中の地域、国生みされた地域内を想定することが必要だ。

2019年3月18日月曜日

最終兵器の目 三貴子2

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
伊弉冉尊者葬於出雲國與伯耆國堺比婆之山也 伊弉冉尊葬於紀伊國熊野之有馬村焉
 と、伊弉冉の墓が「出雲國與伯耆國堺比婆之山」と「紀伊國熊野之有馬村」に有ると記述するが、姫は彦と違って国の象徴で姫の墓がこの姫を祀る土地で、『舊事本紀』の王朝の出身は出雲と伯耆の境の国と熊野の国だと述べている。
『古事記』も「伊耶那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」と一方の親は『舊事本紀』の王朝の親と同系統と述べ、『日本書紀』慶長版は
於是素戔嗚尊請曰吾今奉教将就根國故欲暫向髙天原與姉相見而後永退矣勅許之乃昇詣之於天也是後伊弉諾尊神功既畢靈運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隱者矣
【「素戔嗚」が根国に行く前の少しの間、「髙天原」に出向いて姉と合って、別れを告げてから根国に向かいたいと望んだので、これを許して海人の地域に海流を上ってきた。
その後「伊弉諾」は神としての勤めを終え、「靈」(伊耶那美の靈?)を運び遷して「淡路之洲」に忍びやかにお隠れになった】と記述して、「淡路之洲」は淡路島か隠岐の大島への道か解らないが、伊弉冉を葬ったのは伊弉冉が生まれた土地ではないところに葬ったということだ。
再度確認するが、姫は生まれたところで生きそして生まれたところに埋葬されるが、男王は生まれたところを離れ、支配したところに葬られ、姫の名は出生地、男王は出生地か支配地の二通りあるが、多くが役職名すなわち支配地が名前となる。
すなわち、『日本書紀』のこれまでの主人公の伊弉諾・伊弉冉・三貴子すべて隠岐の大島から去り、「淡路洲爲胞意所不快」とした「淡路」に「伊弉諾・伊弉冉」を葬っている不可思議な説話となり、「伊弉諾・伊弉冉」でない不明な二神の観点の説話と思われ、ここに、海人の国天国と隠岐の大嶋の国大国が別れ天地が別れた。
ただし、この淡路は現在の淡路島かどうか不明で、現在の淡路島の地域は汽水域ではなく、名前の由来は国への道が元と考えられ、『日本書紀』の神話は違う場所を示していると考えるべきだろう。
従って、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別・・・伊岐嶋亦名謂天比登都柱・・・津嶋亦名謂天之狭手依比賣・・・大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別・・・女嶋亦名謂天一根・・・知訶嶋亦名謂天之忍男・・・兩兒嶋亦名謂天兩屋」と7島を天国の領域と述べ、隠岐の大嶋は天国ではないと述べて、そして、淡路島は天国に含まれておらず、7島の先頭に書かれる「隠伎之三子嶋」の中に淡道や「高天原」があると考えられる。
生んだ神名で興味深いのは、『古事記』前川茂右衛門寛永版に「次生水戸神名速秋津日子神次妹速秋津比賣神」、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版に「次生水戸神名建秋津彦神亦名建秋田命次生妹建秋津姫神」と、安芸は、はじめ「建日別熊襲」と「熊襲」、「肥國謂速日()」と「肥」の領土、そして「豊國謂豊日別」と「豊」と支配者が変わっていて、どの王朝にとっても重要な場所だったということが解る。
これにともなって、『古事記』「土左國謂建依別」・『舊事本紀』「土佐國謂速依別」と同じ構図で、これは元々、九州と土佐は『古事記』前川茂右衛門寛永版に「筑紫国謂白日別豊國謂豊日別肥國謂速日」と、「日国」で、それが、「白」・「豊」・「速」(『山海經』の「三身国」)と呼ばれ、それぞれ分裂し、さらに、速国が肥・熊襲・日向・土佐と分裂したと考えられ、肥と薩摩は共に甕棺が出土して関係が深く、隼人は速人なのかもしれず、「建速須佐之男」はこれを背景にした「日国」の神だろう。
『日本書紀』慶長版はそれを裏づけるように
亦曰伊弉諾尊功既至矣德文大矣於是登天報命仍留宅於日之少宮矣
【「日」の国の「少宮」に報告に帰り住んだ】と述べおそらく伊弉諾の話を記述した時は既に天国から日国に天降りした後で、伊弉諾の国生みは日国(三身国)の指示だったと書き換えた。

2019年3月15日金曜日

最終兵器の目 三貴子1

 『日本書紀』 原文慶長版は
是共生日神號大日孁貴此子光華明彩照徹於六合之内故二神喜曰吾息雖多未有若此靈異之兒不冝久留此國自當早送于天而授以天上之事是時天地相去未遠故以天柱舉於天上也次生月神其光彩亜日可以配日而治故亦送之于天次生蛭兒雖已三歳脚猶不立故載之於天磐櫲樟舩而順風放棄次生素戔嗚尊此神有勇悍以安忍且常以哭泣爲行故令國内人民多以夭折復使青山變枯故其父母二神勅素戔嗚尊汝甚無道不可以君臨宇宙固當遠適之於根國矣遂逐之
【大日孁貴は美しく輝き「六合」(『山海經』に出現する黄海と日本海が交わるところ)をすみずみまで照りわたし、二神は喜んで、「私達の子供が多いと言ってもこの不思議な力を持つ子を留めておくことはできない。はやく海人の故地に授けなくてはいけない。」と言った。海人の故地と大国はまだ分かれておらず遠くない関係だったので、天柱(船の印の柱?)を挙げて故地に海流を上った。次に月神を生み、その輝きは日神につぎ、日神と一緒に治めるべきなので故地に送った。次に蛭兒を生んだが3歳になっても立てず船で漕ぎ手もいない風が吹くまま流し棄てた。次に素戔嗚を生み、「素戔嗚はずっと(宇宙『淮南子』卷十一齊俗訓 「往古來今謂之宙四方上下謂之宇道在其間而莫知其所」時間も空間も無限に)決まりから外れてに君子の道に全く見ていない。絶対に遠くの根国へ行きなさい。」と二神が命じ、遂に果たした。】とあり、すなわち二神とどの神か解らない表記で、この続きは神が変わって三貴尊も生んだ神とは違う王朝の説話となるのである。
また、大日孁貴は『日本書紀』にとって「磤馭慮嶋」にはいないので『日本書紀』の大神は「磤馭慮嶋」の元々の大日孁貴でない神を祀っているということだ。
また、蛭兒を流した記述は水葬と考えられ、『古事記』の葦船が元々で、すぐにばらける船で海に返したとし、『古今和歌集 藤原興風』に「白浪に 秋の木の葉の 浮かべるを 海人の流せる 舟かとぞ見る」と海人がその名残で長崎・佐賀・熊本で行われる精霊流しの起源のようなものでこれらの地域が天の故地と私は述べた。
大日孁貴はもちろんもともとは「磤馭慮嶋」の「蛭兒」と対の「日孁」神がモデルで『古事記』の「水()蛭子」すなわち国引きの「八束水臣津野命」から大国を奪って新たな大神になった神のようで、津野命は『出雲風土記』に「三身之綱打挂而」と『山海經』「海内經」に「帝俊生三身三身生義均・・・均定九州」と黄海岸、「大荒南經」に「有人三身帝俊妻娥皇生此三身之國」と太平洋岸、「海外西經」「三身國在夏后啟北一首而三身」と日本海岸に面した九州と呼ばれた三身国の力を借りて大国を統一したが、大神に奪われということだ。
『古事記』 原文 前川茂右衛門 寛永版は
御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也故於投棄御杖所・・・其底箇之男命中箇之男命上箇之男命三柱神者墨江之三前大神也於是洗左御目時所成神名天照大御神次洗右御目時所成神名月讀命次洗御鼻時所成神名建速須佐之男命右件八十禍津日神以下速須佐之男命以前十柱神者因滌御身所生者也生終得三貴子
 と、日向出身の王朝が書いた『古事記』なのだからおそらく日向国の前身をまだ国ではないから「日向」としたと考えられ、ここで、更に神生みを続け、「日向」は発祥地ではない占領した土地を表している。
そして、その神は日向で 宗像・志賀島安曇・墨江津守の夫々の三神を生んだ後に、「天照大御神」・「月讀命」・「建速須佐之男命」の三貴子が生まれ、生んだ神は伊耶那岐で、「須佐之男」は「熊曽國謂建日別」の神で、『舊事本紀』も同様だ。
これは当然で、『古事記』と『舊事本紀』は私史で書いた人物も葛城氏の末裔が書いたため一致点が多く、しかも、有名な説話を流用して自家の説話とし、『日本書紀』は国史で、神話は古い説話に継ぎ足した可能性が高い。

2019年3月13日水曜日

最終兵器の目 神生6

 『古事記』前川茂右衛門寛永版に
次生伊豫之二名嶋此嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂愛止(上)比賣讃岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣土左國謂建依別次生隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別次生筑紫嶋此次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名故筑紫国謂白日別(止)豊國謂豊日別肥國謂速日(別)日向(国謂)豊久士比泥別熊曽国謂建日別次嶋亦身一而有靣四毎靣有名故筑紫國謂白日別止豊國謂豊日別肥國謂速日別日向國謂豊久士比泥別熊曽國謂建日別次生伊岐嶋亦名謂天比登都柱次生津嶋亦名謂天之狭手依比賣賣次生佐度嶋次生大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別故因此八嶋先所生謂大八嶋國然後還坐之時 生吉備兒嶋亦名謂建日方別次生小豆嶋亦名謂大野手上比賣次生大嶋亦名謂大多麻上流別次生女嶋亦名謂天一根次生知訶嶋亦名謂天之忍男次生兩兒嶋亦名謂天兩屋既生國
 と伊予や筑紫はそれぞれ4国あって面と顔を国の表現に見立て、神話の顔や体などを国の表現する手段とし、国という組織が既にあり、吉備は熊襲と同じ王朝の国で、対馬が前に述べた通りに「狭」という地域の主が支配する国だと述べていることが解る。
それに対して『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
 「次生伊豫二名州・・・凡産生十四嶋其處處小嶋皆是水沫潮凝而成者也先生大八州兄生淡路州謂 淡道之穂狭別嶋也次伊豫二名嶋謂此嶋身一而有面四海面有名・・・次隠岐之三子嶋謂天之忍許呂別次筑紫之嶋謂身一而面四海面而有名 筑紫國謂白日別豊國謂豊日別肥国謂建日別 日向國謂豊久士比泥別 次熊襲國謂建日別・・・次生六小嶋兄吉備兒嶋謂建日方別・・・次両兒嶋謂天両屋総産生大八洲次六小嶋合十四箇嶋其處處小嶋皆是水沫潮凝而成者也
と、大八州の代表は淡路島で物部王朝の右腕的存在が淡路島出身の国で、筑紫は4面と『古事記』と同じだが、熊襲が筑紫に入っておらず、やはり、熊襲と吉備は同一視して小さい島々がその配下と述べ、他の国々と一線を画した存在と述べている。
 続いて『日本書紀』慶長版は
次生海次生川次生山次生木祖句句廼馳次生草祖草野姫亦名野槌既而伊弉諾尊伊弉冉尊共議曰吾已生大八洲國及山川草木何不生天下之主者歟於是共生日神號大日孁貴
 【(海人なのだから当然まず)海を生み続いて川・山・木を、木の神「句句廼馳」と草の神「草野姫」を、そして天下の主の日神の大日孁貴を生む。】とある。
おそらく、この3神が日本での最初の神話で木や草を生む、生命を産みだすものこそ神で、大日孁貴は子供(生命)を生むのだから、神と古代の人々が考えて当然のことで、他の主が付加される神は既にいくつかの国がありその王だ。
『山海經』は中国の黄帝が活躍する5千年前頃の内容で、その時既に、多くの国が日本列島に存在し、その国其々に「主」がいたと考えるべきで、もし、「天国」が倭なら、天国はまだ国でなく、「三身国」・「大人国」・「君子国」には「主」がいることになり、「大日孁貴」はおそらく「大人国」の神話を流用した神話と思われる。
そして、『山海經』の「海外南經」に「六合之閒四海之内照之以日月經之以星辰紀之以四時要之以太歳神靈所生」と日本海の南に、『山海經』の神話の中で唯一つ神が生まれるところと、『日本書紀』が神生みする場所を述べ、『尚書』の堯典に「帝曰咨汝羲暨和朞三百有六旬有六日以閏月定四時成歳」と義和が暦を堯に教えて、義和は『山海經』太平洋南岸のことを記述した「大荒南經」に「東南海之外甘水之間有羲和之國」、同じく東岸を記述した「大荒東經」にも「東海之外甘水之閒有羲和之國」と日本の東南太平洋側にあったと記述している。
しかも、日本海南部を記述した「海外南經」には「狄山帝堯葬于陽」と堯を葬った場所が有り、暦を教えた義和が日本の神話を伝えなかったとは言えず、葬帝自身が日本列島で活躍し、『山海經』は日本の神話の影響下で作られたのかもしれず、「天地の中」も「六合」も日本の状況を写し取ったものと思われる。

2019年3月11日月曜日

最終兵器の目 神生5

 『古事記』 原文 前川茂右衛門 寛永版に
於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿於是問其妹伊耶那美命曰汝身者如何成荅曰吾身者成成不成合處一處在尓伊耶那岐命詔我身者成々而成餘處一處在故以此吾身成餘處判()塞汝身不成合處而()爲生成國土生奈何伊耶那美命荅曰然善尓伊耶那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比如此之期乃詔汝者自右廻逢我者自左廻逢約竟以廻時伊耶那美命先言阿那迩夜志愛上袁登古袁後伊耶那岐命言阿那迩夜志愛上袁登賣袁各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度迩興而生子水蛭子此子者入葦舩而流去次生淡嶋是亦不入子之例於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之御所即共参上請天神之命尓天神之命以布斗麻迩尓卜相而詔之曰()女先言而不良亦還降改言故反()降更往廻其天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那迩夜志愛袁登賣袁後妹伊耶那美命言阿那迩夜志愛袁登古袁如此言竟而御合生子淡道之穂之狭別嶋
と、宿殿を「八尋殿」16mの御殿と考えるのは早計で、私は「八」国を想定しており、八個以上あるのに「大八洲國」を筆頭に「木花之開耶姫」・「八百万神」など「や」が語幹の名前が多数出現し、 木花之開耶姫などは木の葉人の耶国の開姫とも読め、磤馭慮嶋は「や国」が「八尋殿」で統治していた島で、その「八尋殿」で新たに伊耶那美・伊耶那岐が統治したのである。
同様に国生みをするのだが、内容は変質して、生んだ新しい統治者「水蛭子」は殺されて水葬し、淡島(大嶋・磤馭慮嶋)を捨て去り、天神(中主ではない)の指示下で「淡道之穂之狭別嶋」(海の道海流の中にある火国の対馬から別れた国)を統治した。
「天神」は『山海經』「西次三經」に「槐江之山丘時之水出焉・・・有天神焉」とやはり水が湧き出るところにいて、『三国志』韓に「國邑各立一人主祭天神名之天君」と記述され、「西次三經」に疑問は残るが、同じ『山海經』が「海外南經」に「神靈所生」と記述し、「天神」は黄海で生まれた可能性が高い。
『古事記』の伊耶那美・伊耶那岐は神話の時代が天神の配下で、水蛭子は天神の子で、淡島も天神の領地となったことを示していて、『古事記』の王朝の先祖神は淡路島出身の神だと述べていて、『日本書紀』に対応している。
これに対して『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「則化竪八尋殿共住同宮矣伊奘諾尊問伊弉冉尊日・・・夫婦産之兒即是水蛭子此子入葦船而流也次生淡州亦不入子例也・・・上詣於天而奏聞也天祖詔以太占而卜合之詔日・・・即得交通之術矣先産生淡路州為胞意所不快故日淡道州即謂吾恥也」と、2神のやり取りは省いたが、伊奘諾・伊弉冉は上詣と完全に天祖(狭霧)の部下と記述されていて、『古事記』の聖地淡路島も貶めていて、『舊事本紀』は磤馭慮嶋と淡州を別物として、磤馭慮嶋出身だと述べているのだろう。
そして、『日本書紀』原文慶長版は
廼生大日本豊秋津洲次生伊豫二名洲次生筑紫洲次雙生億岐洲與佐度洲世人或有雙生者象此也次生越洲次生大洲次生吉備子洲由是始起大八洲國之號焉即對馬嶋壹岐嶋及處處小嶋皆是潮沫凝成者矣亦曰水沫凝而成也
 と、立派な修飾辞が付く豊秋津洲を生み、これが、『日本書紀』作成王朝の出身地、安芸の出身で、この頃、安芸は豊国に含まれ、2神が国生みする以前に、豊国・伊予国・筑紫国、そして、同じ神が支配する隠岐国・佐渡国でこの神が複数の地域を支配するはじめと述べて、さらに、越国・吉備国が我が大国(淡島・大島)が支配を始めた旧「八国」の領土と記述し、大国(淡島・大島)の領土は更に対馬・壱岐や処々に散らばる小島が大国(淡島・大島)の領土と宣言したが、実際は「八国」の対岸に寄港地を造った程度で、筑紫洲と異なり、少なくとも「豊」などが付加される豊国と伊予国・吉備国が天国・大国建国前に存在する。

2019年3月8日金曜日

最終兵器の目 神生4

 『古事記』 原文 前川茂右衛門 寛永版に
於是天神諸命以詔伊耶那岐命伊耶那美命二柱神修理固成是多陀用弊流之國賜天沼矛而言依賜也故二柱神立天浮橋而指下其沼矛以畫者堛(塩)許々袁々呂々迩畫鳴而引上時自其矛末垂落塩之累積成嶋是淤能碁呂嶋
 『日本書紀』は指示されることなく自主的に「磤馭慮嶋」を生んだのに対して、『古事記』は創始者が統治されずまとまりの無い国を天沼矛で統一するよう指示して「磤馭慮嶋」を統一した。
 『舊事本紀』 原文 前川茂右衛門 寛永版に
天祖詔伊奘諾伊弉冉二尊日有豊葦原千五百秋瑞穂之地冝汝住脩之則賜天瓊戈而謂寄賜也伊奘諾伊弉冉二尊奉詔立於天浮橋之上共計謂有物若浮膏其中盖有國乎廼以天元瓊矛而探之獲是滄海則投下其矛而因畫滄溟而引上之時自矛末落垂滴瀝之潮凝結為嶋名日磤馭盧嶋矣則以天瓊矛指立於磤馭盧嶋之上以為國中之天柱也」とある。
 『舊事本紀』も『古事記』と同様に創始者が指示するが、そこは、既に豊国が支配する土地の中で統治が行き届いていない場所(京都郡)に国を生んだが、その内容は「磤馭盧嶋」生み神話を流用し、天柱を立てた御殿(宿殿)が統治する宮殿の象徴となったようだ。
 『日本書紀』原文慶長版に、
二神於是降居彼嶋因欲共爲夫婦産生洲國便以磤馭慮嶋爲國中之柱而陽神左旋陰神右旋分巡國柱同會一面時陰神先唱曰憙哉遇可美少男焉陽神不悅曰吾是男子理當先唱如何婦女反先言乎事既不祥宜以改旋於是二神却更相遇是行也陽神先唱曰憙哉遇可美少女焉因問陰神曰汝身有何成耶對曰吾身有一雌元之處陽神曰吾身亦有雄元之處思欲以吾身元處合汝身之元處於是陰陽始遘合爲夫婦及至産時先以淡路洲爲胞意所不快故名之曰淡路洲
 『日本書紀』もやはり、【領土を拡げる時「御柱」もつ宿殿を造って女王が主導権を持って戦った(翻訳を略)が戦果を得られず、男王が主導して戦って淡路洲を得ることができた】とあり、「磤馭盧嶋」に建国(大国を)したが、不快と言っているのは、後に領地淡路洲を奪われたからなのではないだろうか。
男女の営みの模様を流用しての記述だが、これは、男が敵地で勝利した後に敵の女王と婚姻することで、女王の子に新しい領土を治めさせる手法によって領有がうまくいくという意味で、この時代は女王が国の象徴で、女王の子だから領民が統治を受け入れ、他国の女王の子では領内はまとまらないということである。
ここで、注目すべきは「二神」と神名を示さず、伊弉諾・伊弉冉が生んだのか、面足・惶根が生んだのか解らず、『山海經』が語る5千年前には大人国が日本海岸から太平洋岸まで領土を持ち、これ以前の話で、『伊未自由来記』の「木の葉人」の後、海人が複数の船でやってきた「アカホヤ」後の話と思われ、その後、出雲を領有していた海人も来襲してきている。
従って、この淡路洲はどの神が生んだかによって対象が変わり、瀬戸内の淡路島か隠岐の大島が淡島とすれば淡島からの道に有る島で、隠岐の中にある島のこととも考えられる。
また、 「二神」と伊弉諾・伊弉冉を『日本書紀』が記述しなかったのは、おそらく元々の神話の面足・惶根神話を海人の伊弉諾・伊弉冉の神話に見えるようにしたのであり、「いざな」はクジラとされて漁の対象で、縄文時代から捕鯨を行っていたと思われる遺跡「つぐめのはな遺跡」が長崎近辺にあり、海人の神としては良く当てはまり、天伊弉諾などのように姓が無いのは、この神を他の神と区別しなくても良い海人のみに存在して国伊弉諾が存在しないからである。

2019年3月6日水曜日

最終兵器の目 神生3

 木の葉人たちは船に乗って火を起こす道具や釣り具を持ってきており、船の作成先進地は南九州で、海流の上流の天にあたり、「陀琉」は足で於母足・大足すなわち「於母」を治めた人、「訶志古泥」は尊い禰宜、「立」は建で国を建てた人の意味で、『日本書紀』は「次有神埿土煑尊沙土煑尊次有神大戸之道尊大苫邊尊次有神面足尊惶根尊」と記述して「於母」を面、「陀琉」を足、「訶志古」を惶、「泥」を根と表記して、漢字を意味ある表記に使用して、『古事記』は発音を文字化した文書を流用していると考えられ、もしかすると、所謂神代文字の資料を使って神話を流用したかもしれない。
『古事記』・『旧事本紀』には国を生む前に「高天原」を記述しているが、『旧事本紀』にはその「高天原」の創始者が記述され、
 『舊事本紀』原文 前川茂右衛門 寛永版に
別高皇産霊尊兒天思兼命次天太玉命次天忍日命次天神立命次神皇産霊尊次天御食持命 次天道根命次天神玉命次生魂命次津速魂尊兒市千魂命兒興登魂命兒天兒屋命次武乳遺命 次振魂尊兒前玉命次天忍立命次萬魂尊兒天剛風命巳上七代天神伊弉諾伊弉冉尊并八代天神並天降之神也
 と別系統の神々を記述しているが、これも、「葦牙彦舅」→「常立尊」・「中主」→「豊國主」と並ぶ物部氏の「狭霧尊」そして、物部氏が奪った「高皇産霊」の神話の上に『旧事本紀』が創られていることを示して、畿内には地祇「たま」神の地域に「あま」神や「たけ」神がいて、物部氏の侵略時には高皇産霊を祀る氏族が畿内を領有していたということなのだろう。
 そして『日本書紀』 原文慶長版は
次有神伊弉諾尊伊弉冉尊凢八神矣乾坤之道相參而化所以成此男女自國常立尊迄伊弉諾尊伊弉冉尊是謂神世七代者矣伊弉諾尊伊弉冉尊立於天浮橋之上共計曰底下豈無國歟廼以天之瓊矛指下而探之是獲滄溟其矛鋒滴瀝之潮凝成一嶋名之曰磤馭慮嶋
 【次は伊弉諾・伊弉冉がいて、だいたい八人は天からの道が互いに交じり合ってそこで生まれた男女で常立から伊弉冉までは神代七代である伊弉諾・伊弉冉は「天浮橋」に立って共に踏み入れるべき国が無いからと、瓊矛を差し入れて引き上げると滴が落ちてそれが固まって島が出来「磤馭慮嶋」と名付けた。】とあり、乾坤は西北から西南の『山海經』の天がある方向で、黄海の東で創始者が生まれたと述べている。
『出雲風土記』の「国引き」は「八束水臣津野命」が「三身之綱」で国を広げた説話をもち、「磤馭慮嶋」も同様に船に乗った伊弉諾・伊弉冉が綱で嶋を引き寄せた説話、更に、木の葉人は釣り道具を持っていたのだから、銛を引き抜いて滴り落ちる滴で島を生んだ説話がより現実的で、国を得る道具は時代によって変遷する。
そして、「木の葉人」の伝説を述べた『伊未自由来記』の中に「隠岐は小之凝呂島と称えた。それは小さな島の集まりであったからである。この大島を於母の島、南の小島三島を三つ子の島」と記述する。
私は、これに否定的で、後に隠岐全体を凝呂島といったのであり、隠岐の大島が大の凝呂島で、『古事記』「生隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別」と小島三島が忍許呂別なのだから於母嶋が忍許呂島で全て併せて大岐すなわち大嶋・大国で、「三身」国出身の「八束水臣津野命」が大国を統一したとすると『伊未自由来記』の「沖津久斯山祇神が大津の宮にいて」すなわち「津の命」が統治していたが、「於漏知は踏鞴を踏んで金を作り、鎧・兜・盾・剣を作」って強かったが「加須屋」(三身の糟屋)「の大神祇大神の援助を受け」、「於漏知」を大人様が討伐した。
大人は『山海經』「海外東經」・「大荒東經」・「大荒北經」に大人国が記述され「海内東經」に市を持ち、日本海岸や太平洋・朝鮮に影響力が有ったと記述されている。

2019年3月4日月曜日

最終兵器の目 神生2

 『古事記』原文 前川茂右衛門 寛永版は
此三柱神者並獨神成坐而隠身也次國稚如浮胎而久羅下那洲多陁用弊琉之時如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯訶備比古遅神次天之常立神此二柱神足亦獨神成坐而隠身也上件五柱神者別天神次成神名國之常立神次豊雲野神此二柱神亦獨神成坐而隠身也次成神名宇比地迩神次妹須比智迩去神次角杙神次妹活杙神次意富斗能地神次妹大斗乃辨神次於母陀琉神次妹阿夜止()訶志古泥神
 と「葦牙彦舅」の説明にクラゲのように漂う時と『日本書紀』と異なる表現を記述するが、「於母陀琉神次妹阿夜上訶志古泥神」の「於母陀琉」と説明にピッタリの神が伊弉諾の前に記述される。
『古事記』の取って付けた付加を考えると、本来「阿夜上訶志古泥」が創始者の神話を奪った「於母陀琉」の神話に「葦牙彦舅」の神話を取って付けた神話を、さらに、「中主」の神話を付け加えた中国(なかくに)の創始者中王の神話と理解できる。
すなわち、「於母陀琉」は「妹阿夜上訶志古泥」の王朝創設神話を奪ったことが解り、日本におけるもっとも早い王朝の創始者が「妹阿夜上訶志古泥」という女王だったことが解るのである。
それを、「意富斗能地」すなわち大国の「斗能地」が、さらに「豊雲野」すなわち豊国の「雲野」が奪い、その史書を奪ったのが「常立」を創始者とする王朝で、その史書に産巣と「日」の国から独立した中王が取って付けて完成させたということだ。
他王朝の史書を盗んで取って付ける方法は日本での王朝交代時にずっと行われた手法で、前王朝の有名な説話も同様に流用して付け加えて新たな説話とした、こういう方法で史書は創られた。
取って付けたのだから内容の時代の移動があっても嘘や間違いではないのだから、資料的価値を否定できず、史書に書いてあることを絵空事と精査なしで否定できない。
 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版神代本紀では、
古者元氣混沌天地未割猶鶏卵子溟涬含牙其後清氣漸登薄靡為天浮濁重沈淹滞為地所謂州壤浮漂開闢別割是也譬猶游魚之浮水上于時天先成而地後定然後於高天原化生一神號日天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊自厥以降獨化之外倶生二代耦生五代所謂神世七代是也神代系紀天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊一代倶生天神天御中主尊可美葦牙彦舅尊二代化生天神國常立尊亦云國狭立尊亦云國狭槌尊亦云葉國尊豊國主尊亦云豊斟渟尊亦云豊香節野尊亦云浮経野豊買尊天八下尊獨化天神第一世之神也三代耦生天神角杙尊亦云角龍魂尊妹活杙尊別天三降尊獨化天神第二世之神也四代耦生天神埿土煮尊亦云埿土根尊妹沙土煮尊 亦云沙土根尊別天合尊亦云天鏡尊獨化天神第三之神也五代耦生天神大苫彦尊亦云大戸之道亦云大富道亦云大戸麻彦妹大苫邊尊亦云大戸之道亦云大富邊亦云大戸麻姫別天八百日尊獨化天神第四之神也六代耦生天神青橿城根尊亦云沫薙亦云面足尊妹吾屋惶城根尊亦云惶根尊亦云蚊雁姫尊別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也
 とさらに詳しく支配者の移り変わりを記述し、物部氏の神の系図が「狭霧」から「天八十萬魂」の系図、本来は逆で「天八十萬魂」から「狭霧」の系図でそれぞれの王朝で独立した系図を形成していたことを主張しているのだろう。
ここで、『日本書紀』の王朝の創始者「常立」の神話の根底が『舊事本紀』に記述され、もともと「葉国」から「狭国」そして「常国」と神話が付加されたと記述している。
「葉国」は隠岐の島の伝説に「木の葉人」という人物が創始者と言われていて、その後に海人がやってきて、於母島に住んだとされ、「於母陀琉」神の記事と符合し、海人の「狭」の「槌」(?土人)が「於母」の「陀琉」、すなわち「大」の「足」、大国王の神話を使いまわしたことを物語っていて、「木の葉人」の創始者が「妹阿夜上訶志古泥」ということになる。
http://takuhi-shrine.com/material.html『伊未自由来記』

2019年3月1日金曜日

最終兵器の目  日本書紀巻第一  神生1

 『日本書紀』 原文慶長版 日本書紀巻第一 神代上に
古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬而含牙及其清陽者薄靡而爲天重濁者淹滯而爲地精妙之合搏易重濁之凝竭難故天先成而後定然後神聖生其中焉故曰開闢之初洲 壞浮漂譬猶游魚之浮水上也于時天地之中生一物狀如葦牙便化爲神號國常立尊次國狹槌尊次豊斟渟尊凡三神矣乾道獨化所以成此純男
 【昔、天地を分けてなく(剖は人が能動的に分ける意味)男女の地位が別れていない、卵の中身のようにもやもやとして海はひろくてくらく(涬溟『荘子』)統治する人がいないバラバラだったが、芽を含み清々しい陽だまりは埃が舞って飛びかう(淮南子·天文訓高誘注)海流の上流の海人が住む地域があり、潮が重く濁り滞っていたところに人住む土地ができ、海人の住む場所は繊細かつ巧みで捉えやすく、開拓地は重く濁っていて渇かないため、先に海人の住む地が繁栄し、開拓地も国が定まり、尊く清らかな人が生まれた。すなわち、はじめて国を作った時、国は浮いて壊れて漂い例えば魚が泳ぐような状態の時、海人の地と開拓地の間の黄海に葦の芽のようにまだ政治力を持っていない人が生まれ、名を國常立と呼んだ。次は國狹槌、その次は豊斟渟で三人は君子の道を一人で具現する(乾道:易経)たった一人の男だ。】とある。
すなわち、ここまでは、史書は国を統治する人の歴史なのだから、主語はこの王家の始祖で、始祖が現れる前は中国(漢以前)で「天」と呼ばれた地域に住んでいた始祖が、始祖になる前は混沌とした状態だったが、始祖が出現しそれが常立という名の人物である。
垂仁紀に橘を常世の国から持ってきたが、この橘は萩と済州島にのみ自生するコウライタチバナが有り、常世は済州島で常立はその出身かも知れないが、ここでは、創始者が現れたその場所「天地の中」が国で「常」は国の中の地名である。
 次に國狹槌、次に豊斟渟、この2神のうち、豊斟渟はこの時点で豊国は無く後から付加されたものと解り、豊に対する国と言うことは、「常」や「狹」は有る地域の地名と考えた方が理に適う。
従って、この国は「泉津日狹女」・「天狹田」・一書の月読と天照の諍いで「鰭廣鰭狹」と出現し、蛭子を水葬したように、海流に乗って流れ着く場所が対馬で、対馬が黄泉の国となり、月読は対岐黄泉が語源と考えられるからで、海人が船に乗って最初に流れ着く場所を考えれば説得力があり、その海流の上流が「天地の中」の黄海でその海流の上流が天である。
また「獨化所以成此純男」の記述は矛盾し、本来、1神だから獨神・純男でこの3神は本来の神に加えたもので、「如葦牙便化爲神」の説明に一番釣り合う神様は「葦牙彦舅」で、「常立」が2神いて「天・国」と分けなければならないということは、少なくとも2国それぞれに同じ名前の神がいて言い分けなければならないので天と国に分けたことを示す。
これは姓の始まりで、創始者は一神で姓はいらず、「葦牙彦舅」は「彦舅」が神様の事と思われて姓がなさそうで、創始者にふさわしく、神もある地域の指導者(彦の長老)の意味で人である。
そして、『古事記』原文 前川茂右衛門 寛永版は
天地初發之時於髙天原成神名天之御中主神次髙御産巣日神次神産巣日神此三柱神者並獨神成坐而隠身也次國稚如浮胎而
 と姓が天で「中主」、『先代旧事本紀』は「天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊」と姓が国で狭霧が名と記述し、葛城氏の始祖神は中主、物部氏の始祖神は狭霧で『日本書紀』は物部氏から王朝を奪ったことを示し、「三毛入野」が熊野から常世の国へ隠れる説話があり、紀伊の武内宿祢の末裔が祀る神だ。
さらに、『旧事本紀』「天先成而地後定然後於高天原化」、『古事記』「天地初發之時於髙天原成神」と天地が出来た時に既に「高天原」が存在し、『日本書紀』との前後関係を物語り、『古事記』は「中主」・「産巣日」は取って付けたように最初に付加されている。
すなわち、『日本書紀』のこの三神は本来「葦牙彦舅」一人の説話で、後に常と呼ばれる地域の人物や狹と呼ばれる地域の人物、豊と呼ばれる地域の人物が置き換えて追加した説話で、豊は安芸を中心とした地域、狹は対馬、常は済州島が有力地だ。