2018年5月2日水曜日

最終兵器の聖典(バイブル) 新シリーズのプロローグ1 はじめに

 現代日本は『日本書紀』を現天皇家の正当性を示すために8世紀の官僚が適当に作ったと言ってまともに取り扱ってはならないことにしている。
しかし、中国史書に出て来るから倭国登場時には既に中心的王権を持っていたと言い、それが大和政権だ、いやそのころは九州に有ったが古墳時代には畿内に東侵したと証拠が有るわけでもないのに好き勝手に想像している。
当然で、『日本書紀』は間違いでどのように捉えてもまったく自由で、大和侵略記事をどの時代にしても証拠が無いのだから自由だが、九州説は巻向遺跡の中心的地位と時期が邪馬台国より早くて矛盾し、大和説は地理的に『三国志』を間違いとせざるを得ない。
そのため、日本では中国史書も中国を良く見せるため唐時代の里単位を持ち出して距離を誇大に脚色して書いているから信頼できないと言って、都合の良いところだけ正しいとして例えば『梁書』を無視して仏教伝来は欽明朝と正しい理由を全く検証せずに偽造のはずの『日本書紀』に出てくるとしてきた。
しかし、私はそれら文献を間違いではなく、矛盾があるところはどうして矛盾となるかを検証してある程度の古代史観を構築することができた。
私はこれまでトピックとして1つの事柄に絞って検証してきたが、このシリーズでは古代史の大きな流れをまとめていきたい。
試案では、矛盾を同じ『日本書紀』内や他の金石文・他の史書と検証しあって修正して、真実の古代史を求めて再構築していこうと思う。
試案というのは、私の原文解読がすべて正しい、捉え方がすべて正しいなどと奢っていないためで、私が述べた矛盾点の検証方法が間違いなら、その解決策を提言してほしいからである。
私が求めているのはより真実に近い歴史を知りたいがためで、お互いに相いれない妄想史観から脱却する方法は文献批判で文献の正しい捉え方を他文献や遺跡・金石文を使って模索する以外道が無いと思うからで、遠回りでも文献の検証を1つ1つ地道に行うことしか論理を進める方法が無いと思うからだ。
これまでの私のトピックが古代史の流れの中でどのようにつながっていたのかを新しい研究成果も交えて発表しようと思う。
間違っても、自分の考えに合わないからと偽造や間違いで済まそうとは思っていないし、そのような安易な態度を何度も繰り返し見てきた。
まずはプロローグとして次回は『日本書紀』の作成された頃の同時代資料の『旧唐書』から日本古代史を述べてみる。

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