前章の神話によって、従来言われていたような征服王朝などなく、五島列島から玄界灘の島々に住む倭人と九州や本州に住んでいた東鯷人・辰人などが日本列島に住んでいたが、これらのどれかが、3種類の神話が現存しているのだから、少なくとも3つの種族が姻戚と武力によって覇権を争い天氏の天命開別の国が勝利をおさめたことを意味している。
そして、辰人はかなり以前から渤海近辺まで影響力があったことが示されていて、この章では遺跡からその証拠を示していく。
「世界最古となる約2万年前の土器片を、中国・江西省の洞窟遺跡で発見した」と、北京大と米国の研究チームが科学誌サイエンスに発表した。
もちろん、これ以前にどこかで土器を作っていたかもしれないが、現在のところ、この土器が一番古く、また、江西省以北にこれより古い土器は発見されないだろう。
なぜなら、時代は氷河時代で定住のための土器を作るのに江西省以北は適しないからで、重くかさばる土器を持っての移動は考えられず、少なくとも、拠点のような場所で半定住して煮炊きに使う等しないと意味が無く、また、それより南も、食料が豊富で木の実・穀物の備蓄が必要と思えず、定住や土器の使用はなさそうに思える。
もし、土器が無くても穀物や木の実の煮炊きができるのなら、もしくは、煮炊きが不要な食物が豊富なら、世界に先駆けて土器を作成する必要がないし、氷河の中で定住できるのなら、氷河期にアメリカ大陸へ移住できたはずだが、人類がアメリカ大陸に渡ったのは氷河期終了後だ。
日本列島でも1万6千年前の青森県の大平山元の土器よりも古い土器の発見は氷河時代を考えるとむつかしく、江西省にいた人々が大平山元遺跡にやってきたと考えるのが理にかなっていて、大平山元遺跡には世界最古の石鏃も見つかり、少なくとも、定期的に半定住する猟場だったのだろう。
そして、氷河期が終わり、木の実や穀物など一時に食べきれない食料を見つけて、余剰食糧で1年間過ごすことができることを知り、貯蔵や煮炊きに土器を使うことを考えて壷型土器を作り、洞窟から出て竪穴住居で定住した。
日本海東岸のことを書いた『山海經 海經 海外東經』には「黑齒國在其北,為人黑,食稻啖蛇」と中国国内以外では黑齒國のみに「食稲」が記述され、「青丘國在其北,其人食五穀」と米や麦を含むか解らないが五穀(米,麦,粟,きび,豆)を主食にし、「勞民國在其北 其為人黑 食果草實」・「有國曰玄股,黍食」と果実や黍を主食にしたとしている。
中国国内は百穀・栗・橘・卵・獣・人を食し、稻は西部や南部だけ記述していて、『海內經』に「西南黑水之閒有都廣之野后稷葬焉・・・爰有膏菽、膏稻、膏黍、膏稷,百榖自生,冬夏播琴」と河姆渡周辺の遺跡によく対応している。
そして、支配者「橿城」が子たちに建国説話を話すのだが、磤馭慮嶋は、祀っているクジラが大きな子を産むように産んだ、その背景には火山島が出来上がる姿や鍾乳石ができる様子から想像して作り上げたのだろう。
「つぐめのはな遺跡」では7千年前の土器の曽畑式土器を使用した人々が大きな獲物を突く用途の石銛や鯨を解体するのに用いられたスクレーパーが大量に見つかり、すでにクジラを食料としていたようで、『山海經 海經 海外南經』に「在焦僥東 捕魚海中」と船で海外(日本海)南、恐らく山陰から海中(黄海)に出て魚を捕獲(釣魚ではなく捕鯨?)している。
さらに1万2千年前の栫ノ原遺跡で丸ノミ形石斧が発見されこの石斧は船を作る道具で、このころ対馬海流が流れ始めた。
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