2018年5月28日月曜日

最終兵器の聖典 オーバービュー 伝承と遺物1

  前章をまとめると、日本は畿内に銅鐸や銅剣、鏡、前方後円墳の宗教儀礼の政権変動があったが、土器などの出土の変遷と神話を考えると、南九州の轟B式土器の使用者が甕棺のある糟屋地域に流入して福岡平野を支配し続け、『古事記』や『先代旧事本紀』を作った畿内政権から7世紀に政権奪取したのが『日本書紀』を完成した政権だということがわかる。
この章では出土物と伝承から古代史を俯瞰してみようと思う。

史書の順が『古事記』→『先代旧事本紀』→『日本書紀』と書いたが、国産みの伝承を精査すると、『古事記』・『先代旧事本紀』では「筑紫国 豊国 肥国 熊曽国」と九州が4国、「伊予国 讃岐国 粟国 土左国」と四国が4国すでにある。
史書の先祖がある土地を開拓した時に既に開拓地に国が有るはずが無く、『日本書紀』では「伊豫二名洲」と「筑紫洲」で4国に別れていないので、伝承としては『日本書紀』から始まる。
そして、最初に産んだ国も『日本書紀』は「磤馭慮嶋→淡路洲爲胞→豐秋津洲」で、『古事記』は「淤能碁呂島→淡島→淡道之穂之狭別島」、『先代旧事本紀』は「磤馭盧嶋→淡路州吾恥也 或本州皆爲洲」と記述される。
すなわち、『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』それぞれ書いた人々は共に「 磤馭慮嶋」を建国の島とし、『日本書紀』を書いた人々は「磤馭盧嶋」出身で、『先代旧事本紀』を書いた「淡路島」出身の人々から政権を奪ったと考えられる。
さらに、建国説話で有名なのが『出雲風土記』で「意宇郡」の「國引坐八束水臣津野命詔」なのだが、「意宇郡」は海に面していないのに、対岸の国から綱で国を引っ張ってきている。
見えもしないので、綱が引っかかったか解らないし、接岸したかもわからない、いくら神話で荒唐無稽だと言ってもリアリティーが微塵もない。
これは、大国がまだ国でなかった意宇洲(意宇岐)の頃に船に乗って接岸した島に杭を打って綱で止めた話と考えた方がリアリティーがあり、国引きした国に船で出かけ、その土地に船を固定して接岸して国を奪った話だ。
すなわち、大国の発祥の地は「隠岐の島」、「八束水臣津野命」が建国したのは大国主以前の話で、「八上比売」・「八尺鏡」・「八尺勾璁 」・「八尋殿」・「大八島」など「八」は数えきれないほど出現し、「吾屋橿城」は最初に負けた神といえる。
『出雲風土記』の「意宇郡」の「國引坐八束水臣津野命詔」の「北門佐伎之國矣」・「北門良波乃國矣」は『山海經』の『大荒東經』・『大荒北經』・『海外東經』に大人国が、『海內北經』・『海內東經』に大人之市が記述されて関連がありそうで、その中心が『大荒東經』で「有大人之國。有大人之市,名曰大人之堂」と大人之堂が古代の高層出雲大社や三代丸山遺跡の物見やぐらを思い出す。
神々もそれぞれの史書で異なることも、それぞれの史書を書いた人々の配下の違いに過ぎず、「伊弉諾・伊弉冉」が産んでいない国神の有力氏族をいかに取り込むかが王朝を存続させる一番重要なことだったと思われる。
素戔嗚が出雲に天降った時既に「出雲国」・「越国」・「根国」などがあったように、また、大国主が「越」や「宗像」に嫁取りと称して国を取りに行ったように、神話の登場人物は既にある国を奪いに天降っているのであって、大国主が多くの亦の名を持つのも大国主がそれらの神々を支配したと考えるべきだ。
支配された大物主や三輪神などを祀る人々は大国主に敗れたが、大国主を祀ることは大物主や三輪神を祀ることと同じだと宣言しているのだ。
国譲りは実際は事代主や大物主から譲られたのであって、元々はこれらの神がそれぞれの土地を支配していたので、その娘たちをそれぞれの神武天皇に一括りされた建国王は嫁にした。

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