7.最後に
「邪馬台国畿内説」は「新井白石」の文字遊びから始まり、「本居宣長」の『古事記』偏重すなわち『古事記』と『三国志』は全く相いれない著作物(拙著『古代史家は古代史を偽造する』に詳述)であったため『三国志』の間違い説が完成した。
⇒ 『三国志』と『古事記』は全く相いれない書物で、『古事記』には『三国志』に出てくる国がほとんど出てこず、官名も多くが違い、矛は『古事記』では祭祀道具で武器は剣だと述べた。そのため、『古事記』が正しいとすると『三国志』を否定せざるを得ない。
『日本書紀』や『三国志』を否定することで論争がはじまり、前提が間違っていたから結論が出ず、出発点が間違っていたのであり、地名の類似など日本中に存在し、まずは『古事記』と『日本書紀』の評価から出発すべきだった。
⇒ 『三国志』が正しいとしないと結論が出ないことが邪馬台国論争でわかった。
『三国志』が正しいとも間違いとも証明することは難しいが、少なくとも『三国志』に書いてあることは厳然と存在して証拠になるが、『三国志』が間違いという記述は同時代に存在せず、間違いという証拠がなく、『三国志』を間違いにすると比較優位は争えるが証明できず、『三国志』を過去に戻って書き換えることは不可能だ。
現に、「間違い説」は双方が証拠をもって論理の矛盾を言い合うことができてしまうが、間違いと『三国志』にも同時代史書にも書いてないのだから「間違いでない説」を崩す証拠は簡単ではなく、批判しても違う「間違い説」が批判を否定し、「間違い説」内で自己矛盾に陥る。
『三国志』が間違いなら、「三角縁神獣鏡」も「漢式鏡」ももらったのかどうかわからないし、後代史書に登場するから「卑弥呼」はわらないが、邪馬台国自体あったかどうかわからない、「邪馬台国論争」自体が虚構の国を探していたことになる。
⇒ 史書を間違いとすると邪馬台国自体が有ったかさえ分からなくなるという危険性を述べた。
『三国志』に間違いがあるとした瞬間、『三国志』の記述を流用する時に、流用する部分が本当に正しいか証明することが必要なのは当然の帰結で、『三国志』間違い説の人々は『三国志』が正しい証明も必要になる。
『三国志』の信頼性を落とした瞬間、『三国志』の内容を使うことができないことを自覚せずに、自分に都合の良いところだけ、おいしいところだけつまみ食いする態度は許されることでは無かった。
⇒『三国志』間違い説を論じる場合は金印を貰ったことや鏡を貰ったことが正しいという論証をしなければフェアではないことを述べた。
もし文書内に矛盾があっても間違いとするのではなく、矛盾した記述の原因を考えるべきで、多くは『梁書』の距離のように読者の誤解や「宣長」のように後代読者の誤謬からの派生に起因することを念頭に考慮すべきだ。
⇒ 後代の淺はかな考えで論ずるべきでなく、記述された時代背景を考えながら理解すべきことを述べた。
これで、「景初四年鏡」を「魏」からもらったなどという不可解な論調も改元をまだ知らない日本人の作成と解り、「三角縁神獣鏡」の呪縛がとけ、「三角縁神獣鏡」は「邪馬台国」以前から作られた可能性があり、「纏向遺跡」の再評価を行うことができる。
⇒ 三角縁神獣鏡を邪馬台国の証拠とする論理が崩れた時、三角縁神獣鏡の新たな意味が解り、真実の2~4世紀が理解できると述べた。
⇒ いかがでしょうか。私は『三国志』を間違いとせず、『三国志』を現代の地図上で『三国志』が書く通りにプロットして検証して結論を得、それが『日本書紀』を作成した8世紀の観点そのままで検証されていたことを述べました。私は定説で良いと思うのですが、一応、仮説は1つで「今も昔も壱岐は直径約16Km程度」としただけでした。『三国志』をそのまま読めば、里程は国境間の距離で領内の歩行距離はどう見ても含まれていなかったのだから、『三国志』の読者はどう捉えるかを推論すると、千戸の国の広さが壱岐と対馬の広さで表していたので、『三国志』の読者もそのように読んだのではないかと考えた。壱岐の直径をもとに考えた結論が『日本書紀』によって論証されていたのだから、もし、これが間違いとするのなら、3世紀の壱岐の地図を探し出して1里を違う距離と証明し、島は接点通過、国と国の距離は中心で、残りの千3百~4百里の数値の論証、不彌国・邪馬台国間の距離を示し、不彌国・奴国・伊都国の中心域間が百里であることを証明すべきで、しかも、『日本書紀』がどうして香椎宮と誤解したかも論証しなければならない。2万戸の奴国が直径百里など有り得ないと思いますがね。そして、『三国志』が間違いとするのなら『三国志』内の事柄を述べるときは記述が正しいことを論証すべきであり、考古学的遺物も多くは史書をもとに編年されているので、遺物の年代指定も証明すべきである。『三国志』には三角縁神獣鏡を貰ったなどと書かれてはいないのだから。
!!!論理学を否定しない限り、仮説を立てて論証できないときは仮説は棄却されることは基本中の基本で、邪馬台はヤマトと呼べず、『三国志』は間違いではない。
もう一度書こう。
「邪馬台国論争」は8世紀に既に終わっていた。
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