日本の邪馬台国研究の論拠は三国志が間違っているやら日本書紀が間違っていると古代文献を葬り去り、しかし自分の説に合致する部分のみ正しいとする奇妙な論理がまかり通っています。
そして、間違いの類例を引っ張り出して、同じように間違えていると論ずるのですが、間違いだらけの本をもとに間違いだらけの本を正す、詐欺師(陳寿)が南行を東行にしてだましているから、この詐欺師(陳寿)の東行は南行にすれば真実だとするわけだ。
どう言いつくろっても詐欺師(陳寿)の言葉を信じることはできないのに詐欺師(陳寿)の本(『三国志』)をもとに論じたものをどのように信じろというのでしょうか。
うそつきの本の東を南にしても大本が嘘なのだから金印も鏡も絹も矛も城柵も古墳も論拠になり得ないのが道理だと思われます。
そして、古田武彦氏は『三国志』は間違いがないと論じて、正しいことを統計的に論証したが、解釈を間違え、さらに、『日本書紀』は九州王朝から盗んで書き換えたとして、これも詐欺師の論理で同じ穴の狢に陥ってしまった。
詐欺師の論理に陥ると、同じ穴の狢の論拠は互いに論拠が間違っていると非難しあうだけで絶対に折り合いがつくはずがないのです。
そして、古田氏も、『三国志』が正しいと言ったときは大論争となったが、その後、詐欺師の論理の土俵に上ったために、論争となり得ずに無視されたと僻み、恨んで亡くなられました。
本来証拠となるべき三国志や日本書紀などを嘘とか後代の創造としたため、日本中どこを探しても証拠となるものが無くなってしまったのです。
三角縁神獣鏡か漢鏡かと論争しても、卑弥呼が三角縁神獣鏡を貰ったという文献が出ないと決着がつかず、また、そのような文献も否定されるだろうし、『親魏倭王』の印が出土しても盗まれたなどと否定される。
宣長や白石の仮説をもとに多くの人々が論証しても決着が付かないのだから、仮説を棄却すべきなのにいまだに決着が付かず、永遠に決着しないと言われているが、論理学通りに仮説を棄却すれば済み、『三国志』は正しく邪馬台国はヤマトと読めないことを受け入れるべきである。
本来の学問は、まずはどの事象も正しいことを受け入れ、お互い合わなければ、合う理由が無いか考え、それでも矛盾が有れば合わない理由を考え、それでも結論が付かない場合に、その他の資料と比較してそれでも矛盾が有れば偽造や間違いを考えるべきです。
古田氏はただ須玖岡本の古墳を卑弥呼の古墳にしたくて奴国を邪馬台国にして、邪馬台国すなわち古田氏の言う九州王朝は、分国畿内を邪馬台国の30国の一つに比定し関東地域まで九州王朝の領域としてしまったのです。
理由はいらなくて、日本書紀は間違いで倭国は7世紀まで続き、中国に認められた日本の中心政権だというそれだけの理由、伝説の人物ミカヨリ姫を卑弥呼だ壱与だ、筑紫国造りが天子だ、九州年号が有るから九州王朝が正しいというが、それを証明する根拠がどうとも言えて納得を得られるはずがないのです。
もちろん、畿内政権派も同じで、古代史を論証するためには、三国志も日本書紀も古事記もすべてまずは間違いないとの前提で論述し、不都合があったならそれらの文献を否定すべきではないでしょうか。
そうすることによって、反論するにも、ある論証をしたとき、別の場所に違うことが書いてあるのだからと論理的に間違いとできます。
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