2018年2月19日月曜日

最終兵器のミサ 「邪馬台国論争」の論文解説1・・ 『全国邪馬台国連絡協議会』でのWEB発表登録論文解説

 
『全国邪馬台国連絡協議会』でWEB発表したが、全く反論が無く、解りにくいのか、無視されているのか解らないので、まずは解りやすいように解説してみた。
古代史の発信者は自分の言いたいことだけ言って満足しているだけの世界で、批判が有ってもどこ吹く風の有様で、結論を得たいと思っている発表者がいないのが現状、何とかそれを打開して議論が噛み合うことを期待しています。

表題『古田「ヤマダイ」国論争から「ヤマタイ大嘘八百」論争まで ・・・・・邪馬台国論争は既に終わっている』
 まず、表題だが、これは、古田説の邪馬壱国論争から訳の分からない説まですべて論争に対して、論争などしなくても結論が出ないのは前提そのもの・仮説が間違いだから結論が出ないだけで、その仮説・前提は宣長や白石の前提の文字合わせや『古事記』のみ正しくて『三国志』や『日本書紀』が間違いという仮説が間違いだから結論が出ないだけで、『三国志』や『日本書紀』は間違いではないと仮説を置くべきで、その仮説で論証した書物が『日本書紀』だという意味で表題を決定した。

1.邪馬台国論争の背景
 題のとおりで邪馬台国論争の背景をまず述べる。

日本中の多くの古代史愛好家が熱中している「邪馬台国論争」を江戸時代から延々と続けてきたが、いまだに決着がつかず、「邪馬台国」はご当地ソングのように全国津々浦々に存在しする。
 論争が収束するどころか数えきれないほど候補地が有り、論者は一切聞く耳を持たず、まくし立てるだけで、内容は自己陶酔に陥っているだけという有様で、しかも、一つの閃きとほとんどの他人の理論の受け売りの状況ということで、「台」だろうと「壱」だろうとこの有様である。

決着がつかない理由は簡単で、それは、「『三国志』は間違い」と決めつけたからで、『三国志』が間違いならどこを「邪馬台国」にしても否定できない。
 原因は仮説の間違いで、対象の書物を間違いとすると、その他に史実はどこにも書いて無く、間違いを前提の内容は妄想だから何とでも言えるが、間違いの証拠など、『三国志』にここは間違いと記述されているはずがなく、後代の書物の真偽や後代の北朝の読みを含んだ文字が魏代と同じかも証明できず、考古物の年代を決めつけて否定する程度で、考古物の年代も古書の内容から編年していて正しいかどうか解らない。

なぜ『三国志』を間違いにするかと言えば、『三国志』どおりであれば奈良大和に、筑後山門に、須玖岡本に、その他に「邪馬台国」を誘致できないからだ。
 『三国志』を間違いにする理由は最初に候補地有りきなので、それに合うように記事を書き換える。

そして、どの説も共通して間違いは行程で、方角、距離、日数のみ間違いとする一方、鏡、金印、絹をもらったこと、環濠集落、城柵、古墳があることは全員すべて正しい。
 『三国志』が間違いとする説の評価で、候補地に邪馬台国を持って行きたいから行程のみ間違いとしていると述べた。

これも当然で、これも間違っていたら三角縁神獣鏡も漢式鏡も纏向遺跡も吉野ケ里遺跡も箸墓古墳も須玖岡本古墳も「邪馬台国」の証拠にできないからで、出土しなくても盗られた、そのうち出土すると言い逃れる。
 邪馬台国の位置を証明するためには考古学的遺物は正しくないといけないため行程以外は正しいと、論証なしに決めつけていて、本来なら、間違いを証明すると同時に、正しいことも証明しなければ、論理的とは言えないということだ。

遺跡も無関係になると、「山田太郎・次郎」ではないが、「ヤマダイ(ヤマイチ)」国から「ヤマタ八百万」・「ヤマタ大嘘八百」国まで存在することになり、「邪馬台国論争」は自説に都合のよい論理から成り立っている。
 現状の「邪馬台国論争」の無意味さ・相手にする必要ない論理と述べた。

ある説は「不彌国の南は東の間違いで邪馬台国は省略された長里1300里先だ」、違う説は「不彌国の南は合っていて邪馬台国は省略された短里1300里先だ」と言いあうが、お互いに相いれるはずがない。
 反対説は違う部分が間違いで違う部分が正しいのだから平行線のままと述べた。

そのため、マスコミも「親魏倭王」の金印が出ない限り決着しないので永遠に決着しないと揶揄しているが、もちろん、出土しても「漢委奴國王」印とおなじように盗まれた、落としたなどと言い張るだろう。
ここが「邪馬台国」、ここが「卑弥呼」の墓と銘板があっても、偽造だと言って自説を曲げない人がいるかもしれない。
 現状の「邪馬台国論争」の漫画チックな内容をマスコミも含めて揶揄してみた。

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