2018年1月31日水曜日

最終兵器のミサ 海外文献 『山海經』

 『山海經』の大荒東經には中国の5帝の一人としている舜と同一人物とする俊が生んだ国々と称しているが、これも、記紀などと同様に別人だ。
中国で重要な神と同等の人物に2つ名など必要なく、本来なら名前すら無い「主神」でよいし、実際おなじ「大荒東經」に舜が出現する。
中国中原にまだ国が無い神話の時代の4千年前以前から「大荒東經」の地域である日本列島南部(九州から関東・すべて方角は月日所出)にすでに国々があり、その国々の歴史は、女王の羲和と俊が4国(中容・晏龍・黑齒・孫国白民)を建国したことを記述している。
中国の神話では羲和が日神、常羲が月神で共に俊の妻になっているが、天照と月読の話と同じ、国産みもイザナギ・イザナミの話と同じことを記述しているように見える。
日月所出の羲和之國に始まり止日月の女和月母之國で書き終わる国々があり、 この神話が少昊の時代以前の話だと書いているのだ。
そして、これを基に『契丹古伝』は殷と親戚と記述したのだろう。
そして、この地域は百穀があり黍を中心に穀物を栽培し、狩猟を行い、さらに「海外東經」では稻を栽培し冠を被って帯刀して、縄文土偶の頭には飾りが有る。
『山海經』
大荒東經
「東海之外大壑少昊之國・・・羲和者帝俊之妻・・・帝俊生中容・・・有君子之國其人衣冠帶劍・・・帝俊生晏龍晏龍生司幽・・・帝俊生帝鴻帝鴻生白民・・・帝俊生黑齒・・・黍食使四鳥・・・帝舜生戲・・・百穀所在」
海外東經
「君子國在其北衣冠帶劍・・・黑齒國在其北為人黑食稻啖蛇」

 「大荒東經」には『魏志倭人伝』に記述される「侏儒国」が「小人国」と記述されていて、「海外東經」には「扶桑国」と『梁書』の倭伝に出現する国名と共通する。
すなわち、「海外東經」は日本海の西端から見て東南の地域から東北で堯が葬られた山東半島の根本から見ると東の地域と記述され、そこからすべて方角は北に進む。
黒歯国は『三国志』で船行1年、『山海經』では5億歩以上で太陽が北に上ると記述されやはり南アメリカの内容なのだろうか。△印の国(君子国・ 黒歯国・湯谷)がその境となっているようで、日本列島の国々が倭と違う国として古くからある国として紹介されている。
そして、国と記述されている国々が羲和之国から勞民国まで君子之国と黑齒之国・青丘国の重複を除いた22国と東鯷国の20余国と合致し、無関係としてよいのだろうか。
『山海經』 
海外東經
  「海外自東南陬至東北陬者・・・在堯葬東。」
「青丘國在其北・・・一曰在朝陽北・・・自東極至于西極・・・五億十萬九千八百步 黑齒國在其北」
大荒東經
〔少昊之國(山東半島西の日の出る方向で東夷より東〕 
羲和之國(日月所出)→大人之國→〇小人國→蒍國(日月所出)→中容之國→△君子之國→司幽之國(日月所出)→白民之國→△青丘之國→維嬴土之國→△黑齒之國→夏州之國(日月所出)→蓋余之國→困民國→
上湯谷→壎民之國(日月所生)→中容之國(日月所出)→女和月母之國(止日月)
海外東經
〔海外自東南陬至東北陬 東南(堯を葬った東、君子国・ 黒歯国・湯谷 で交差)→東北〕
(+)丘→大人國()→奢比之尸()→△君子國()→こうこう()→朝陽之谷()→△青丘國()→豎亥(北 東極)→△黑齒國() △湯谷(=?)→〇扶桑(=西?)→十日()→雨師妾國()→玄股之國()→毛民之國()→勞民國()
『漢書』 卷二十八下 地理志第八下 呉地条
「會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云」
『三国志』
「有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至」

 倭は朝鮮半島の東南端を示しているがまだ国として記述されておらず、私はいわゆる弥生人の倭は大八島の国で日本列島の近辺の壱岐・対馬・隠岐の島前・五島列島・瀬戸内の島々を支配する国と述べてきた。
『山海經』は国としてまだ認めていないが、『日本書紀』の一書や『出雲國風土記』の記述でいわゆる弥生人が新羅から国を引いてきたり、新羅に天下って関係を示し、私の示す領域と矛盾しない。
矛盾どころか、記紀の神話ができる前から日本列島に国々が存在し、もちろん、この国々は縄文土器を作っていた人々で、その中の一部の倭人が朝鮮半島南東部から 姑射國より南のいくつかの島が倭人の島と考えることができる。
『遼史』には「渤海改爲蓋州,又改辰州,以辰韓得名」と渤海が蓋で、辰韓すなわち朝鮮半島が蓋国だったとしていて、その南の黄海にある地域が倭である。
中国でも日本でも倭が日本と考えて「大荒東經」は架空の国々で中国の神話と片付けてきたが、見方を変え素直に読み進むと他の文献と整合することが解る。
そして、中国人は「大荒東經」と「大荒東經」の国々を後に倭種の元の辰国領域と考え辰韓(新羅)の地を元の辰国と記述し、まだ国ではない倭と区別して中国は辰国に敬意を表し帝が存在する5帝の一人と同等の国として『山海經』を記述したようだ。 朝鮮の領域が西南端まで有るため、もし蓬萊山が勃海の近辺の済州島なら姑射國・大蟹・大鯾・明組邑は対馬・壱岐・隠岐になる。
『山海經』 
海內東經〔朝鮮半島から島嶼を南下して会稽までを記述〕
鉅燕→蓋國→朝鮮(列陽東,海北山南)
鉅燕→蓋國→倭(蓋國南)
列姑射(木浦?海河州中)→姑射國(海中)→大蟹(海中)→大鯾(海中)→明組邑(海中)→蓬萊山(海中)→大人之市(海中)→琅邪臺(海閒)→都州(海中)→韓鴈(南海中)→始鳩(南海中)→雷澤中(吳西)→會稽山(大楚南)
『日本書紀』一書
「素戔鳴尊帥其子五十猛神 降到於新羅國 居曾尸茂梨之處」
『出雲國風土記』
「所以号意宇者 国引坐八束水臣津野命詔・・・衾志羅紀乃三埼矣」
『漢書』 卷二十五下 郊祀志 第五
「臨勃海,將以望祀蓬萊之屬,幾至殊庭焉」
『遼史』 第三十八卷 志第八 地理志二
「辰州奉國軍節度 本高麗蓋牟城 唐太宗會李世攻破蓋牟城即此 渤海改爲蓋州又改辰州以辰韓得名」

0 件のコメント:

コメントを投稿