2018年1月10日水曜日

最終兵器の現天皇家の古代史 飛鳥浄御原宮の考察1

.飛鳥浄御原宮の前提 天智天皇
天智天皇は近江大津宮天皇と呼ばれ、671年までの在位と日本書紀に記述されているが、持統6年692年に郭務悰が天智天皇のために阿彌陀像を造仏している。
普通造仏は資料1のように目の前の人物のためにせいぜい死後すぐに作成していて、この用例を考えると692年には天智天皇はまだ生きて近江宮に在位していた。
 そして、天智天皇は662年より摂政をしていたが、摂政ということは、他に天皇として在位しているということで、摂政の対象は理論上 孝徳天皇になり、『野中寺弥勒菩薩半跏思惟像 本像台座』の框に「丙寅年四月大旧八日癸卯開記 栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時」と666年に中宮天皇が存在する。
資料2の『藤氏家伝』に記述してある通りであり、なぜ摂政をしているかというと、百済を助ける戦いと白村江への天萬豐日出陣や訪中のためである。
藤氏家伝』では665年に「白鳳五年 秋八月・・・超拝紫冠 増封八千戸 俄而天萬豐日天皇 已厭萬機 登遐白雲」と鎌足に紫冠超拝後に天萬豐日天皇が崩じている。
『旧唐書』は664年の帰国記事と665年の渡中記事で、先遣隊に671年はすでに何度も郭務悰が来日しており不要で664年記事に最もふさわしい。
 
2.上送記事
 日本書紀に上送記事は資料3のとおり5例しかなく、689年・690年の上送は天智天皇に送らなくてはならないため、すなわち、最終的に天智天皇に送らなければならなかったからと思われる。後代上送なら、法隆寺金堂薬師仏のように、天智天皇の世に寺に奉納した像を送ると書くはずだ。
上送という言葉は、天皇以外に政権を支える人物が別にいて、支える人が自分で判断できないものを政権中枢の天皇に判断を仰ぐことのようで、もし、それ以外ならもっと頻繁(天皇以外に上送も)に上送記事があるはずである。

資料1 
『日本書紀』
持統六年閏五月乙酉 復上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。
持統十一年六月辛卯 公卿百寮。始造爲天皇病所願佛像。
朱鳥元年七月是月 諸王臣等爲天皇造觀音像。則諡觀世音經於大官大寺。
白雉四年六月 天皇聞旻法師命終。多造佛菩薩像安置於川原寺。
白雉元年十月 爲入宮地所壌丘墓及被遷人者。始造丈六繍像侠侍八部等四十六像。
大化元年八月癸卯 小墾田宮御宇之世。馬子宿禰奉爲天皇造丈六繍像。
推古天皇十四年五月戊午 今朕爲造丈六佛以求好佛像
推古天皇十三年四月辛酉朔 以始造銅繍丈六佛像各一躯
用明天皇二年四月丙午 奉造丈六佛像及寺。
欽明天皇六年九月是月 百濟造丈六佛像。製願文曰。盖聞。造丈六佛功徳甚大。

資料2 
 『日本書紀』
天智天皇三年五月甲子 「百濟鎭將劉仁願遣朝散大夫郭務悰等進表函與獻物」
天智天皇三年十二月乙酉 「郭務悰等罷歸」
天智天皇四年九月壬辰 「唐國遣朝散大夫沂州司馬馬上柱國劉徳高等・・・上柱國郭務悰。凡二百五十四人」
天智天皇四年十二月是月 「劉徳高等罷歸」
天智天皇六年十一月乙丑 百濟鎭將劉仁願遣熊津都督府・・・上柱國司馬法聰・・・石積等於筑紫都督府
天智天皇八年是歳 「佐平鬼室集斯等。男女七百餘人遷居近江國蒲生郡。又大唐遣郭務悰等二千餘人」
天智天皇一〇年正月癸卯 「以大友皇子拜太政大臣。以蘇我赤兄臣爲左大臣。以中臣金連爲右大臣」
持統六年閏五月乙酉 「復上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像」
天智天皇八年十月庚申 「天皇遣東宮大皇弟於藤原内大臣家。授大織冠與大臣位仍賜姓爲藤原氏」
天武天皇元年三月壬辰朔己酉。 「郭務悰等咸著喪服三遍擧哀。向東稽首。」
天武天皇元年五月庚申 「郭務悰等罷歸。」
持統四年九月丁酉 「大唐學問僧智宗。義徳。淨願。軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻。・・・還至筑紫」
天武天皇十三年十二月癸未 「大唐學生土師宿禰甥。白猪史寶然。及百濟役時沒大唐者猪使連子首。筑紫三宅連得許。傳新羅至。則新羅遣大奈末金儒。送甥等於筑紫。
『旧唐書』 仁軌伝
麟德二年 封泰山 仁軌領新羅及百濟・耽羅・四國酋長赴會 高宗甚悅
『藤氏家伝』
白鳳五年 秋八月 詔曰 尚道任賢 先王彜則 褒功報德 聖人格言 其大綿冠内臣中臣連 功侔建内宿禰 位未允民之望 超拝紫冠 増封八千戸 俄而天萬豐日天皇 已厭萬機 登遐白雲 
『続日本紀』
慶雲元年七月甲申朔。正四位下粟田朝臣眞人自唐國至。初至唐時。有人來問曰。何處使人。荅曰。日本國使。
慶雲元年十月辛酉。粟田朝臣眞人等拜朝。

資料3
 『日本書紀』
天智天皇二年二月是月 佐平福信上送唐俘續守言等。---663
持統三年正月壬戌 詔出雲國司。上送遭値風浪蕃人。 ---689
持統三年四月壬寅 新羅遣級さん金道那等奉弔瀛眞人天皇喪。并上送學問僧明聡。觀智等。別獻金銅阿彌陀像。金銅觀世音菩薩像。大勢至菩薩像。各一躯。 ---689
持統四年十月戊午 准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物一依詔書。 ---690
大化元年八月癸卯・・・於小墾田宮御宇之世。馬子宿禰奉爲天皇造丈六繍像。丈六銅像。顯揚佛教恭敬僧尼。


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