2017年8月9日水曜日

最終兵器のミサ 神話の背景

 「八」国王朝が最初の淡島を産む背景は何かと考えると、南九州でクジラ漁ではぐれて海を漂っているところに、日本書紀では国常立だけれど本来は伊弉神は8千年前頃対馬海流が発生した。日本書紀では磤馭慮島だけど本来は淡島が鍾乳石のできる様子を見ているような表現で島が出来たと書いているけれど、要は、神話を創った人物は船に乗って漂っていたら淡島を見つけて住み着いたのが現実だ。この人物たちはクジラを神と崇めて、クジラが島のような子供を産むところを見て、海底火山によって火山島ができるのを見て、そして、鍾乳石ができるところを見て神話を作り上げたようだ。このような神話を創り上げる人々は奄美群島か伊豆諸島で捕鯨を縄文初期から行っている人々しか見当たらない。この地域の栫ノ原遺跡(鹿児島県加世田市)から世界最古の1万2000年前に船を造る道具の丸のみ磨製石斧が発見されていて、雷下遺跡(市川市国分)から国内最古となる約7500年前の船が出土して、さらに、1万年以上前にすでに種子島と南部九州で交流が有ったことが解っていて、火山島・船・クジラとすべて揃った地域だ。世界最古と言われる船はエジプトのパピルス製筏で6千年前と言われ海流を横切ることは不可能だ。
『日本書紀』
「洲壞浮漂譬猶游魚之浮水上也・・・矛指下而探之是獲滄溟 其矛鋒滴瀝之潮凝成一嶋名之曰磤馭慮嶋」

そして、この地域の7千年前のアカホヤ以降の土器が朝鮮も含めた日本海西部から出土していて、日本海西部で遭難したり水葬すれば遺体が対馬(対岐黄泉国)に流れ着くと思われる。国産み神話の大八島からも縄文土器が発掘されていることから、アカホヤが「八」国を混乱させて、隠岐の島の島後にはアカホヤ以前の出雲と共通する土器が出土していることから、アカホヤ以前の水蛭子の「八」国をアカホヤによって逃げてきた壱岐・対馬・隠岐の島の島前の大日孁貴が奪ったとゆうことだ。
大日孁貴の王朝は黒曜石・イモガイ・漆・コールタール・稲などを東北・沖縄・河姆渡と交流のあった蛭子の王朝の「八」国と交易し、交易した地域から米作の痕跡が出土していて、例えば、6千年前の遺跡の彦崎貝塚(岡山県灘崎町)プラントオパールが、5千年前の遺跡の大矢遺跡(熊本県本渡市)籾の圧痕が見つかっている。
そして、水田が造られるようになった弥生時代になると、青銅製の武器で大八島の対岸の国々を支配したのだろう。そのため、スサノオが八岐のオロチを退治したとき自分の持っていた石剣がオロチの持っていた青銅製の剣のため折れてしまったと書かれている。
『日本書紀』
「頭尾各有八岐・・・時素戔鳴尊乃拔所帶十握劔寸斬其蛇至尾劔刄少缺・・・此所謂草薙劔也」

日本書紀は大戸之道・沙土煮と権力者が変わり、その後の泥土煮(根国?)・豐斟渟(豊国)・また國狹槌(狭霧国)が取り戻して国常立(天氏)と王朝が継続されたと書いていることが解る。「八」国(蛭子・東鯷国)→神国(狭霧国・日本)→扶桑国(豊国・御中主)→秦王国(物部氏)→倭(蘇我氏)→日本国(天氏・俀国)と王朝の変遷があった。天照大神は大戸之道の時代の人物で天氏も鹿児島や奄美群島出身でアカホヤで隠岐の沖之島に逃げてきた人物の子孫だと言えて、人々が縄文人と呼ぶのは蛭子王朝の人々で弥生人と呼ぶのは南九州や奄美群島・種子島・屋久島に住んでいた人々だとゆうことが解る。
『日本書紀』
「號國常立尊・・・次國狹槌尊 次豐斟渟尊・・・次有神 泥土煮尊 沙土煮尊 亦曰泥土根尊 沙土根尊 次有神 大戸之道尊」

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