2017年6月9日金曜日

最終兵器のミサ 政権奪取2

 前回は、宇摩志麻治が東鯷国(神倭国)から璽を奪い、大倭国の瀛津世襲が神倭国を破ってさらに東鯷国の中心部を陥落させたことを璽の移動で説明し、大倭国の最後の天皇が仲皇子だったことでいったん閉じた。仲皇子から政権を奪ったのは葛城氏で応神天皇の時代に文字を覚えた新しい王朝は早速日本書紀の最初の資料を書き始めたようで、そのもととなったのが『四方志』のようだ。
   『日本書紀』
履中天皇四年八月戊戌 「始之於諸國置國史 記言事達四方志」

 葛城氏は天皇なので大臣は書かず、前代の武内宿禰を大臣と書いた。同様に王朝が変わるたびに前の天皇を大臣と書く慣例が出来上がり、平郡氏は前天皇を葛城圓大臣、許勢氏は平群眞鳥大臣と日本書紀の原本資料に追記した。圓大臣を天皇の臣下と書いているけれど日本書紀の中でも臣下の家にふつう隠れないと言っているので、臣下ではない葛城圓大臣を殺していて葛城大臣から璽が平群臣眞鳥に移動した。
   『古事記』 安康天皇記
「所遊其殿下目弱王、聞取此言、便窃伺天皇之御寝、取其傍大刀乃、打斯其天皇之頚、逃入都夫良意富美之家也」
   『日本書紀』 雄略天皇即位前紀
「穴穗天皇爲眉輪王見殺・・・竊語眉輪王 遂共得間而出 逃入圓大臣宅・・・伏願大王奉獻臣女韓媛與葛城宅七區 請以贖罪 天皇不許 縱火燔宅 於是 大臣與黒彦皇子 眉輪王 倶被燔死・・・天皇命有司設壇於泊瀬朝倉即天皇位 遂定宮焉 以平群臣眞鳥爲大臣」

葛城氏から璽を奪取した平群真鳥大臣が日本の王になろうとしてなれるはずがないので、王だった平群大臣こと武烈天皇で古事記にあわせるて2代ずらして顕宗天皇の即位前に平群氏から璽が許勢氏に移動したことになり、大伴金村も大連として即位しているけれど、この金村は次王朝が追加した天皇だ。
   『日本書紀』
武烈天皇即位前紀
「大臣平群眞鳥臣專擅 國政欲王日本・・・眞鳥大臣恨事不濟 知身難兔 計窮望絶 廣指臨詛 遂被殺戮」
継体天皇元年 「是日 即天皇位 以大伴金村大連爲大連 許勢男人大臣爲大臣」

古事記は許勢氏の天皇の2代目が書いた史書、日本書紀では継体天皇のことで、日本書紀は次の王朝が書いている。古事記には同じ記事が顕宗天皇即位前の清寧天皇末のこととして書いている。ということは、志毘臣の事件は平群から許勢へと璽が移動した事件ということになる。
  『古事記』 
清寧天皇記 「故 非今者難可謀 即興軍囲志毘臣家 乃殺也」

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