2026年8月26日水曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代  消された王〝磯城彦″3

孝安天皇の名は天戸目。婿入りを果たしたのが、羸津世襲の娘・葛󠄀木避姫だろう。『舊事本紀』に記される彼の名の地名は天。つまり彼もまた、磯城王統の名、天忍人を受けた正当な王。孝霊天皇の義父にあたる。首都は磯城から葛城の室の秋津島へ。そして、十市県主の祖と呼ばれるので、十市へ逃れたのだろう。

ここに見えてくるのは、系譜の構造。

県主 (=葉江・浮孔宮天皇)←対抗勢力→政大夫(彦湯支・出雲醜)

磯城彦(=葉江・懿徳天皇)←対抗勢力→出雲大臣・出石心大臣

和知都美(=葉江・孝昭天皇) ←対抗勢力→羸津世襲大臣

娘の紐某姉の婿、「磯城彦」を襲名した大目(=孝安天皇・大矢口宿祢?)

←対抗勢力→羸津世襲大連

大目の娘・細媛(婿の孝霊天皇・大水口宿祢?) →欝色雄大臣の新王朝へ(紐某姉の子)

磯城王家の衰退(磯城縣主)→十市縣主

(※安寧「崩御時年五十七」から考えて綏靖十五年に浮孔宮朝廷が始まった)

 そして、磯城が首都となった崇神天皇の時代、開化朝の大臣だった伊香色雄は、大臣と呼ばれず、妃は志紀彦の娘だった。崇神天皇は磯城の王。すなわち、磯城彦。その娘婿が大臣と呼ばなくなったことで、磯城彦の王統が『日本書紀』・『古事記』を編纂したことが解る。この「磯城王朝」では、大臣・大連は天皇や皇太子自身の事。天皇・皇太子に姓は不要、大臣・大連を賜姓しないので大臣・大連の名が記されていない。だから、建諸隅にも大連を賜姓されていない。

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