2025年8月6日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 孝靈天皇2

前215年孝靈七十六年春二月丙午朔癸丑の「天皇崩」は1月30日の日干支、前214年孝元元年春正月辛未朔甲申の即位、前211年孝元四年春三月甲申朔甲午の輕境原宮遷都も日干支は1日のズレがある九州の暦と考えられる。正しい日干支を調べると、孝靈の崩御が孝靈九年や孝元二十六年、埋葬が孝元三十七年と意味不明になってしまう。

ところが。九州の記録とすれば、丸迩君の祖の阿田賀田須は大倭王になる人物と思われ、大倭國民磯姫の子である。大倭國民磯姫は名から大倭根子の娘と考えられる。民磯姫の義母は紀伊名草姫、名草姫の義母は伊勢主の娘、義父は建甕槌なので、御井宮王の和知都美王家の人々の説話と考えた方が合理的だ。紀伊名草姫は木国造になる前の天道根(伊勢主)と九州から来た日臣(木國造智名曽)が姻戚関係になった時の人物とわかる。

そして、蝿伊呂泥・蝿伊呂杼の子には吉備上道臣・下道臣の祖が存在し、吉備の別名は建日方別、熊曾建日別の分国で九州の系列国である。私は少彦男心が倭迹迹姫に婿入りして大臣比古布都押之信となり、大臣でなくなってから屋主忍男武雄心と野洲王になったと考えている。

すなわち、九州の暦を持って師木や葛木に兵士を連れて遣って来た。孝靈天皇の崩御は実質の天皇の細比賣の父の師木縣主大目(天戸目)王朝の終焉を意味する。師木縣主は師木が首都になると、十市縣主、さらに木国造と呼ばれる。天戸目の子の建斗禾は木國造智名曽の妹に婿入りして、十市縣主になった。そして、子の建宇那比は木國造に婿入りして、木國造になったと考えられる。

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