2025年8月22日金曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 崇神天皇4

  崇神天皇は大彦と旦波大縣主の娘の竹野媛との子の丹波道主、彦湯産隅である。皇后は伊香色雄の義姉妹の木国造の娘で、彦湯産隅の皇子は丹波の姫、伊香色雄の娘を妃にし、伊香色雄の皇子も木国造の娘(真木姫・荒姫・玉手姫)を妃にしたようだ。実質の最高権力者は伊香色雄である。

前86年崇神十二年春三月丁丑朔丁亥は正しい日干支で「詔曰朕初承天位」と四道の侵攻の成功で、領地の拡大を祝っている。崇神十二年秋九月甲辰朔己丑の日干支は1月のズレがあり、10月朔日が正しい。11月に閏月があるので、正しいかもしれないが、保留である。記録は「故稱謂御肇國天皇也」で、初めての天皇だと祝っている。何故即位12年目に宣言するのか不明である。相応しい日干支は前210年、孝元天皇が輕地境原宮に遷都した翌年なら相応しいかもしれない。翌年に孝霊天皇を埋葬し、その翌年に欝色謎を皇后にしている。

前81年崇神十七年七月丙午朔の「造舩舶」は正しい日干支で、崇神四八年夏四月戊申朔丙寅の「立活目尊爲皇太子」は閏三月の日干支である。立皇太子は九州倭国の王朝交代記事は変わらない。しかし、前50年崇神四十八年春正月己卯朔戊子の「不知曷爲嗣各宜夢」記事の夢見で後継者を決める説話が奇妙だ。

『舊事本紀』には崇神「三十八年春正月己卯朔戊子」と間違いの日干支を記述している。当然、夢見で後継者を決めるにしても、崇神四八年は奇異である。立皇太子記事が四月なので、前30年の九月か十一月は朔日が己卯、翌年正月に垂仁天皇が即位している。

夢見で武諸隅大連の後継者を八坂入彦にしようと画策したので、豐城入彦が纏向天皇を名乗った。師木天皇の武諸隅大連は狹穗彦(大根)、妃が十市瓊入姫、豐城入彦の妃が淳名城入姫(佐波遲比賣)、八坂入彦の妃が豐鍬入姫(日葉酢媛)、義兄弟である。

 

年候補

甲辰9月朔 -303 -241 -210 -117 8 101

己卯朔 -454月 -405月 -309月 -3011月 -2510月 -142

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