2018年12月26日水曜日

最終兵器の聖典 葛城王朝・神皇王朝3

 『古事記』の神武天皇は『日本書紀』の「神日本磐余彦」、『先代旧事本紀』の「狭野」と異なり、「若御毛沼命、亦名豊御毛沼命、亦名神倭伊波礼毘古命」と東征して若国王になった神武と豊国王になった神武、そして、神倭の磐余の邑長になった神武がいたと述べている。
伊波礼毘古は『古事記』で「高千穂宮」・「豊国宇沙」・「竺紫」・「阿岐国」・「吉備」を経て大和侵略を行うが、「豊国宇沙」・「竺紫」・「吉備」が自領になるのは後代なので、それらを領有する大物主の娘を豊の「阿岐国」から娶るのだから、大物主の配下として大和侵略を行ったようだ。
そして、「熊野之高倉下」の力を借りて大和に侵入して神倭の磐余の邑長になり、『先代旧事本紀』「羸津世襲命 亦云葛󠄀木彦命尾張連等祖・・・葛󠄀城尾治置姫為妻」と神倭の磐余の邑長になったのは兄弟倉下の乱・饒速日来襲以前のことだ。
豊国王の御毛沼は「豊国謂豊日別」の王になったが、豊国は、『先代旧事本紀』の先記の州の分類が「築紫州・・・大日本豐秋津州」で『日本書紀』も同様で、本来、豊秋津が豊国の発祥で、その豊国の王になったのが豊御毛沼で、豊日別は京都群に都をおいたときの地名と思われる。
この時の景行天皇十二年「碩田國」の敵「土蜘蛛」を破ったが、この敵土蜘蛛は神武天皇即位前紀己未年「和珥坂・・・高尾張邑有土蜘蛛」の敵と同じで、神武天皇と『古事記』は呼んだ。
それでは、若国王の御毛沼はどのような人物なのかというと、若国を治めた若帯日子が天皇の系図に有り、そこには成務天皇三年「武内宿禰爲大臣也」と記述され、武内宿禰も若国王となる。
『古事記』大倭根子日子国玖琉に「娶木国造之祖、宇豆比古之妹、山下影日売、生子、建内宿祢。」と宇豆比古の妹に武内宿禰の父が婿入りし、『日本書紀』神武天皇即位前紀「至速吸之門・・・臣是國神。名曰珍彦。・・・以爲海導者。乃特賜名爲椎根津彦。此即倭直部始祖也」と珍彦を椎根津彦に被せて、倭国王の祖、『先代旧事本紀』「椎根津彦曰汝迎引皇舟表續香山之巔因譽爲倭國造其國造者自此而始矣此則大倭連等祖也」と大倭連の祖としている。
そして、天皇名は神倭国造伊波礼毘古、大倭連日子すき友・大倭連帯日子国押人・大倭連根子日子国玖琉、さらに、『先代旧事本紀』「健額赤命之子多治比連津守若倭部連葛󠄀木尉直祖」と若倭部連根子日子大毘ゝのように『先代旧事本紀』と矛盾が無い。
『先代旧事本紀』で「天忍人命此命異妹角屋姫亦名葛󠄀木出石姫」・「天忍男命葛󠄀木土神劔根命女賀奈良知姫」・「羸津世襲命 亦云葛󠄀木彦命尾張連等祖」・「建額赤命此命葛󠄀城尾治置姫」・「天戸國命天忍人命之子 此命葛󠄀木避姫」・「健額赤命之子多治比連津守若倭部連葛󠄀木尉直祖」・「建斗禾命・・・此命紀伊國造智名曽妹中名草姫」と尾張氏が葛城氏・紀伊国造に婿に入りした。
『古事記』では「伊迦賀色許売命、生御子、比古布都押之信命」と物部氏の皇子比古布都押之信が「比古布都押之信命、娶尾張連等之祖、意富那毘之妹、葛城之高千那毘売生子、味師内宿祢又、娶木国造之祖、宇豆比古之妹、山下影日売、生子、建内宿祢。」と物部氏の皇子が尾張氏に婿入りし『紀氏系図』では、孝元天皇皇子に彦太忍信、その子に屋主忍雄、その子が建内宿祢とされ、屋主忍雄は彦太忍信を襲名したようで、屋主忍雄が木国造に婿入りしている。
まさに建斗禾で、神倭王朝で不遇な屋国王の忍雄が兄嫁の倭国造になった珍彦・葛城氏の本家の出身地讃岐王?の姫影日売に婿入りし、大彦に伴って物部氏が皇位に就いた功で 建内宿祢が紀伊国造になったことが見えてくる。
すると、若倭部連根子日子大毘ゝ・比古布都押之信の長男葛城氏の味師内宿祢は物部政権では御真木王、尾張政権で伊久米王、そして、出雲征伐で大国王さらに中国王帯中日子と出世し、拘奴國の地を征服してついに大君となり、品陀和気と役職名がなくなり、肥後・日向・豊(宗像・豊前・豊後・瀬戸内海沿岸・出雲・紀伊)にまたがる、大王国だったのだろう。
そして、葛城氏の直系品陀和気が大王位を継ぎ、紀伊国造建内宿祢の直系の若帯日子の兄弟の五百木之入日子の子品它真若、その子中日売の子が大雀で建内宿祢の娘婿葛城氏の直系大雀が大王を継いだ。

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