2018年12月10日月曜日

最終兵器の聖典 欠史8代 前期物部王朝3(大倭国・天孫王朝)

 そして、物部王朝は「遷建布都大神社於大倭國山邉郡石上邑則天祖授饒速日尊自天受來天璽瑞寶」と開化天皇の時に璽を新しく遷建した石上神宮に収め、皇子に王の地位を与えて開化天皇は宗教の王・天皇になり、勿論この時期は天皇ではなくおそらく『日本書紀』の「天日槍對曰 僕新羅國主之子也 然聞日本國有聖皇」のように聖皇と呼ばれ、実際は宿祢と考えられる。
「近宿殿内矣因號足尼其足尼之號自比而始矣」と「たらしね」を、漢字を理解しているから当てた造語で、宿祢は本来の用法の「宿殿」の神官・禰宜の尼のことで、多くの尼の中で宿殿に居る多くの尼を支配する尼、王の中の王で、「大峯大尼此命者春日宮御宇天皇御世爲大尼供奉其大尼之起始發此時矣」と尼の中の尼の大尼は開化天皇の時始まったが、皇太子と同等の地位で大王と同じだ。
そして、開化天皇「八年春正月以大祢大綜押命為大臣武建命大峯命並爲大祢」と大峯大祢と記述され、大峯大尼と同じ、すなわち大尼イコール大祢も証明され、三世大祢命は役職名で、物部系図も襲名する役職名や宮名と考えるべきで大祢の家系の始まりなのだろう。
従って、「三世孫大祢命此命片塩浮穴宮御宇天皇御世為侍臣奉齋」は安寧天皇の時代ではなく、開化天皇の時の人物で大彦と同世代でその弟が「弟出雲醜大臣」でよく符合し、更に、「大峯大尼」の兄弟「妹鬱色謎命輕境原宮御宇天皇立爲皇后誕生三皇子則大彦命」と兄欝色雄命が宇摩志麻治の孫世代に記述される。
すなわち、「しこお」は役職名の継承で出雲醜イコール欝色雄イコール伊香色雄で「遷建布都大神社於大倭國山邉郡石上邑則天祖授饒速日尊自天受來天璽瑞寶同共蔵齋号日石上太神」と天皇の璽を石上に祀り神武紀「天璽鏡劔奉正安殿」の正安殿である石上神宮で『日本書紀』崇神紀「朕初承天位。獲保宗廟」を意味する石上朝廷、出雲・欝・伊香は生まれた土地である。
「大木食命 三河國造祖出雲大臣之子・・・弟三見宿祢命 此命秋津嶋宮御宇天皇御世並縁近宿元爲足尼次爲宿祢奉齋大神其宿祢者始起此時也」と、「出雲色多利姬」の子の出雲醜では人心を得られず、「倭志紀彦妹真鳥姬爲妻」と志紀王に婿入りしてその子が三見宿祢「足尼次爲宿祢奉齋大神其宿祢者始」と朝廷の主となった。
そして、同じ構図が伊香色雄「倭志紀彦女真鳥姫爲妾」で、伊香色雄の宮の子は磯城瑞籬宮崇神天皇で、この場合、出雲醜が志紀彦・開化天皇と婿入りした義兄弟で伊香色雄が志紀彦・孝元天皇と義兄弟で志紀彦・孝元天皇は欝色雄の宮に婿入りしていている。
出雲醜・欝色雄・伊香色雄3人とも天皇の義兄弟で大臣と呼ばれて外戚の皇太子を意味し、伊香色謎皇太后・伊香色雄天皇で伊香色謎の宮が磯城瑞籬宮で天皇に即位したと思われ、物部氏が宿殿(朝廷)を象徴とした、天皇(宿祢)と一心同体の長男大王(大尼)と皇太后の娘婿若しくは外戚の娘婿義兄弟が大臣というシステムを作り出し、志紀宿祢と物部宿祢とが互いに大臣と呼び王朝交代をスムーズに行った。
伊香色雄の宮の子建膽心大祢は「此命磯城瑞籬宮御宇天皇御世始為大祢供奉」と初めて物部王朝の皇太子・大王である大祢となったのであり、出雲醜の父大祢が畿内に地位を築き、しこおの宮は高宮と呼ばれ「大綜杵命此命輕境原宮御宇天皇御世為大祢」・「髙屋阿波良姫爲妻」と大綜杵大祢が高宮に初めて婿入りして伊香色雄の子たちが天皇を継いだ。
そして、同じ物部七世大新河は「此命纏向珠城宮御宇天皇御世元爲大臣次賜物部連公姓則改爲大連奉齋神宮其大連之號始起此時」と物部姓を持って皇室ではなくなり、十市県主の十市根大連の子の物部膽咋宿禰は「此宿祢志賀髙穴穗宮御宇天皇御世元爲太臣次爲宿祢奉齋神宮其宿祢之宮始起此時矣」と元宿殿だった石上神宮を祀る君となり、『日本書紀』景行天皇十二年西暦82年「物部君祖夏花」と夏花が十市根のことか。
物部氏は紀元前660年から続く磯城彦の王朝の宮の記録を引き継ぎ、物部氏の系図を当てはめた。

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