2026年9月16日水曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代  太子たちの謎3

          中国史書の倭の五王を見ても、似た構造が浮かび上がる。

讃、死 → 弟・珍が即位

済、死 → 世子・興が即位

興、死 → 弟・武が即位

弟の珍や武が王位を継ぐ。しかし、それは単なる血筋の話ではない。重要なのは、〝王宮の違い″。王統が変わる=遷都する。都が移ることは、単なる地理的変化ではない。それは、王の背後の血筋や政治体系が切り替わった兆し。実際に――

428年:倭国王()遣使獻方物

434年:木梨軽皇子、太子に(弟珍が即位)

438年:珍(讃の弟)、安東将軍に

451年:倭済(珍の子)進號安東大將軍

461年:世子興(済の子)、安東將軍に

478年:白髪皇子、太子に(弟・武が即位)

同 年  :武王(興の弟)、宋へ上表文を送る

親子相続の済・興の時、立太子がなく、弟の珍や武が相続する時、立太子があった。つまり、弟の即位は、単なる後継ではなく、別の王統の始動を意味していた。

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