中国史書の倭の五王を見ても、似た構造が浮かび上がる。
讃、死 → 弟・珍が即位
済、死 → 世子・興が即位
興、死 → 弟・武が即位
弟の珍や武が王位を継ぐ。しかし、それは単なる血筋の話ではない。重要なのは、〝王宮の違い″。王統が変わる=遷都する。都が移ることは、単なる地理的変化ではない。それは、王の背後の血筋や政治体系が切り替わった兆し。実際に――
428年:倭国王(讃)遣使獻方物
434年:木梨軽皇子、太子に(弟珍が即位)
438年:珍(讃の弟)、安東将軍に
451年:倭済(珍の子)進號安東大將軍
461年:世子興(済の子)、安東將軍に
478年:白髪皇子、太子に(弟・武が即位)
同 年 :武王(興の弟)、宋へ上表文を送る
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