「天って 空の上のことではなかった」それは、海だった。壱岐、対馬、隠岐小さな島々が連なる。どれも「天(あま)」という音を持っていた。つまり、そこは神々が現れ、行き交う神聖な場所。〝アマ″の世界が、海の上に広がっていた。
この感覚は、日本だけのものではなかった。中国側もまた、東の海を「六合の間」と呼び、神霊が生まれる場所として描いた。ただ描かれた神々の姿は、ずいぶん違って見えた。中国の神話に現れる〝異国の神″たちは、「八首人面蛇身八足八尾」、鳥や獣のようで、どこか異様、恐れを抱かせる鬼の心を持つ〝魔″の姿を見た。日本で八岐大蛇に込めた恐れも、根っこでは、きっと繋がっていたのだろう。もしかしたら、それは八人の王、八つの国の連合、あるいは、入れ墨や鎧の意匠を象徴していたのかもしれない。
一方、『日本書紀』にはこんな言葉が記されている。「天照大神 六合の内を照らす」、中国が〝神々の誕生の海″と見ていたその水面を、日本では〝神が治める領域″としてとらえていた。だからこそ、「天」や「六合」という言葉が、海を越えて運ばれた。同じ海、同じ記憶。ただ、語られる声が少しずつ違っていた。
ここで、「中国の古代史書って 本当に信じられるのか?」、神話は言葉で描けるが、歴史は言葉だけでは足りない。遺跡が残っていても、そこに〝正解″と書かれた看板が立っているわけではない。必要なのは、動かしようのない〝現象″。たとえば、日蝕だ。中国の古い史書には、驚くほど多くの日蝕の記録がある。しかも、ただ「空が暗くなった」という記録だけではなく、きちんと日付が添えられている。
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