九年夏四月壬戌朔は正しい日干支、百済が劣勢で、秦王にも泣きついた。百済を北でなく、西藩と呼ぶのだから、畿内の国である。六月辛酉朔も太陽の位置計算では閏5月1日だが、正しい日干支の可能性が高い。高句麗からの攻撃は任那と百済で自衛するよう、見放している。閏七月庚申朔は俀国の記録で7月2日、閏月がずれているので、閏七月は7月、6月は小の月だ。十年夏六月乙酉朔は正しい日干支、高句麗に使者を送ったと記している。秦王国は高句麗と友好関係である。
十一年春二月辛巳朔も正しい日干支だが、内容は『百濟本記』の内容で、この天皇は俀国の天皇、百済に援助している。百済は3月11日を12日として、俀国と同じ暦である。夏四月庚辰朔も俀国の日干支で、高句麗の捕虜を俀国に送っている。十三年五月戊辰朔は正しい日干支、河内部阿斯比多の報告を受けている。十四年春正月甲子朔も正しい日干支、百済は秦王国にも助けを求めている。
夏五月戊辰朔は間違いの日干支で552年が正しい。河内国の説話で、552年4月に薨じた箭田珠勝大兄のために像を創ったと思われる。仏像の初出は501年に室屋大連が命じた。倭国への仏教伝来の前、『梁書』の扶桑国を思わせる。その後、545年、おそらく、俀国に百済から丈六佛像を贈られた。百済から援軍を求めて、釋迦佛金銅像や経典を贈られた。秦王国の仏教は別ルートで入っているので、稲目に任せた。
秋七月辛辛酉朔は正しい日干支、稲目が船史を賜姓した。敏達前紀に船史の祖、敏達三年に船史となっているので、この時秦王国で承認された。八月辛卯朔も正しい日干支、百済からの援軍依頼である。冬十月庚寅朔も正しい日干支、倭国と百済が友好関係を維持しているようだ。
年候補
戊辰5月朔日 428 552
645年
戊辰4月30日晦日 588年
戊辰5月2日 516 578年
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