2026年1月12日月曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 敏達天皇1

    敏達紀も基本的に欽明紀と同じ状況で、記述したのは馬子が中心だ。正しい日干支は秦王国と倭国、九州の暦は俀国と朝鮮記事だろう。天皇は世代を考えると秦王国が二代目の尾輿、太子が御狩、倭王は三代目の稲目?太子が馬子だろう。御狩の子が守屋の孫を妃にしているので、世代がもっと後だ。『古事記』によれば三代目の稲目の薨去は584年(敏達十三年)である。

元年夏四月壬申朔は正しい日干支、三代目の稲目が即位した。『舊事本紀』は物部大市御狩が大連だが、尾輿、天皇、世代的に皇太子になったのだろう。

『日本書紀』は守屋(初代?)が大連だが、初出は敏達十四年、大臣(弓削)になっている。馬子が倭王、皇太弟が守屋になったのだろう。五月壬寅朔も正しい日干支、高句麗の使者が大井宮に迎えられた。

二年夏五月丙寅朔は俀国の日干支、大伴氏の後ろ盾の吉備は俀国領だったようだ。吉備五郡も俀国領だったものを、倭国と秦王国で分けた。秋七月乙丑朔も俀国の暦ならば、この難波は福岡になる。もしかすると、高句麗の暦なのかもしれない。秦王国の暦ならば共に542年になる。

八月甲午朔、三年夏五月庚申朔、秋七月己未朔も正しい日干支で高句麗の使人についての説話である。冬十月戊子朔丙も正しい日干支で、馬子大臣がさらに俀国領の吉備から領地を奪った。

四年春正月丙辰朔は俀国の日干支、廣姫は俀国の后のようだ。菟道磯津貝皇女は橘豐日の妃にしたが、聖徳太子妃とある。『日本書紀』編者は橘豐日イコール聖徳太子と理解している。二月壬辰朔は間違いの日干支で、574年が正しいのだろう。馬子が倭国太子になって京に上り、復命ではなく命令された。夏四月乙酉朔は正しい日干支で、新羅・百済・任那に使者を送った。

 

年候補

丙寅5月朔日 542 666

乙丑7月朔日 485 542 609

壬辰2月朔日 517 543 574 641

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