2025年4月9日水曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話29 3大臣の朝廷

高穴穂宮は大中津比賣が神寶の管理を十市根に任せた垂仁八七年に遷都したと考えられ、天皇は十市根である。高穴穂宮天皇の十市根の子(義子)の膽咋は穴太足尼の娘婿、首都穴太の足尼は天皇十市根で膽咋は皇太子、131年に高穴穂(穴太)の大臣になった。

高穴穂宮天皇を継ぐ太子の名を背負ったのが若帯日子と五百木之入日子と倭建だ。倭建は『古事記』では大帯日子の項に含めているが、『舊事本紀』では成務の項に記述され、高穴穂宮の太子の世代である。仲哀天皇は紀伊國(師木)の徳勒津宮の天皇である。膽咋の妃に止己呂姫が存在するのは偶然ではく、徳勒津宮の皇后である。

また、伊勢國五十鈴宮の淡路屯倉を定めた、都奴賀の笥飯(気比)宮の天皇も存在し、淡路は淡海(近江)道を支配する天皇である。そして、もう一人、穴門豐浦宮と儺縣の橿日宮の天皇も存在し、倭建の妃の穴戸武姫と対応している。すると、淡路屯倉を支配する笥飯宮の比賣は意富多牟和氣の娘の布多遲能伊理毘賣、徳勒津宮は忍山宿祢の娘の弟媛の宮と考えられる。

布多遲毘賣は安國造の祖の意富多牟和氣の娘なのだから、高穴穂宮天皇の娘達の婿が太子、穴戸武姫の婿は高穴穂宮天皇の皇子と考えられる。『舊事本紀』と『古事記』を比較すると、布多遲能伊理毘賣と布多遲毘賣は同一人物、弟橘比賣と玖玖麻毛理比賣と一妻も同一人物になっている。大吉備建比賣は吉備穴戸武姫と名前が異なり、他の2系統の妃は景行朝の姫と成務朝の姫を表し、一妻は弟橘比賣の姉妹を示していると考えられる。それを示すように忍山宿祢の娘は弟橘比賣と弟財郎女が存在する。

膽咋の妃も倭建の妃も穴穂の太子も3柱、首都も3宮、大臣も膽咋、建内、丸迩の3大臣が存在した。そして、『古事記』の3家、御真木朝では丸迩臣の祖の日子國夫玖が活躍し、伊久米朝では十市根の跡を継いだ膽咋、大帯日子朝では建内大臣が生まれ、偶然とは思えない。

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