2025年4月28日月曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話37 御真木入日子

  伊久米伊理毘古、大帯日子は共に分家、その本家の御真木入日子は戊寅年318年12月に崩じたと『古事記』は記述する。319年から難波朝天皇は徴税を開始して権力を得、すなわち、御真木入日子は輕島明宮朝の天皇だったことを示す。最後の輕島明宮朝天皇が菟道稚郎子だったので、菟道稚郎子の崩御が318年12月だったということである。そして、若帯日子が後継者となる。

輕島明宮朝の大臣は尾綱根で妃は高木之入日女で、高木之入日女の父が品陀眞若、品陀眞若の父が穴穂宮太子の五百木之入日子である。それで、『舊事本紀』も『日本書紀』も輕島明宮朝の天皇を譽田天皇と呼び、五百木之入日子の分王朝で、その妃は尾綱真若刀婢である。すなわち、御真木入日子は八坂入日子・八坂入日賣・五百木之入日子・譽田の親子の王朝と解る。

御真木入日子は眞若王・眞若比賣の王朝である。伊久米伊理毘古は御真木入日子の姉妹の御眞津比賣の子とあるが、御眞津比賣の夫の比古由牟須美の子の大筒木垂根の娘の婿で、世代が異なる。御真木入日子は一世代前、垂仁朝が纏向と師木宮があった影響なのだろう。同様に世代にズレがあるのが、比古布都押之信の母の伊迦賀色許賣の父の穗積臣の祖の内色許男である。

内色許男の妃は芹田真稚姫(?千千速眞若比賣の娘)なので、伊迦賀色許賣は真稚姫でもある。比古由牟須美の子の2代目丹波道主の義兄弟に日子坐(伊迦賀色許男)の子の水之穗眞若(八坂之入日子)、その子が大筒木眞若だ。そして、伊迦賀色許賣の娘の御眞津比賣の娘に伊邪能眞若が存在する。そして、若建吉備津日子の娘(?)の伊那毘能若郎女の子に日子人之大兄の兄の眞若が存在する。眞若王は眞若比賣の子なので、眞若王の母が眞若比賣で、同時に複数の眞若王がいれば地名が付加される。

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