2025年4月4日金曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話27 建部君達

  八坂入日子の子と推定した大筒木眞若、その孫の息長宿禰と河俣稻依毘賣の子は大多牟坂、多遲摩國造の祖だった。多遲摩國造の祖は建田背なので、竟富那毘の系統の息長宿禰ではなく、紀伊國造智名曽の妹の子の多遲摩國造の祖の建田背の系統が継承し、河俣稻依毘賣が継承したようだ。建田背は世代的に荒河刀辨で孫の豐鋤入日賣、婿は八坂入日子、その子の大筒木眞若の妃の「妾の子」と記述された弟比賣、その娘の弟比賣の婿が大荒田と考えられる。

建部君は阿努建部君の祖の大玉と近江建部君の祖の稚武と武部君の祖の稚武彦と丹羽建部君の祖の武田と建部君の祖の稻依別である。稻依別は布多遲比賣の子、稚武は弟橘比賣の子、但し、『舊事本紀』では布多遲能伊理毘賣の子達、稻依別の妃と考えられる稻入別、稚武彦、武田は忍山宿祢の娘の弟比賣の子達だ。稻入別は稻依毘賣のことで、同じ建部君の祖の稚武が夫の息長宿禰と考えられる。また、忍山宿祢の娘の弟比賣の子の武田は丹羽君の祖、大荒田の迩波縣君の祖を受け継いでいるのだから、弟比賣の婿の大荒田が忍山宿祢と言うことになる。

『古事記』の高穴穂宮天皇の妃は忍山垂根の娘の弟財郎女と記述されるが、『舊事本紀』では高穴穂宮天皇は穴太足尼とその婿の膽咋である。穴太足尼の後継が五百木之入日子と考えられ、その妃が尾綱真若刀婢で義父は建稲種である。五百木之入日子は十市根の子だが、同じく、十市根の子とされる膽咋が穴太足尼の娘の比咩古に婿入りし、三児が生まれたとある。しかし、親子関係は逆、膽咋は穴太足尼の実子ではなく膽咋が婿入りし、高穴穂大臣(天皇)になったことを示す。

膽咋は成務元年から大臣だったのだから、景行五八年に高穴穂宮に婿入りし、纏向宮は跡取りの娘、世代的には膽咋の姉の清媛の婿の物部武諸遇が纏向宮大連(天皇)を継承した。纏向宮大連の婿は息長宿禰の子の大多牟坂で、妃は清媛の娘の五十琴姫である。

建部君の祖は倭建の子や倭建の義兄弟が祖となっている。高穴穂宮天皇穴太足尼の太子の倭建(膽咋)の子が近江の天皇で、稚武王が近江建部君の祖、すなわち、天皇である。そして、この、膽咋の3柱の子や、膽咋の妃の比咩古の義兄弟が建部君の祖だ。

2025年4月2日水曜日

最終兵器の目 新しい古代の神話 尾張氏の神話26 志紀縣主の祖の乎止与

  建稲種は乎止与と大印岐の娘の子だが、乎止与の父母は記述されていないので不明だ。十市根の子の志紀縣主・遠江國造の祖の物部印岐美は名前から大印岐と同一人物かとも考えられる。しかし、遠淡海國造が伊迦賀色許男の子の印岐美とあるように、十市根の兄弟と『舊事本紀』は記述し、世代のズレがあり、伊迦賀色許男の子の遠淡海國造の祖の印岐美は乎止与の義父のほうの大印岐のようだ。遠江國造は大印岐が十市根の前の世代、景行世代の彦狹嶋が東方を侵攻する以前なので、遠江はまだ支配地ではなく、遠い津が草津だったように、大津近辺が淡海、草津以北が遠淡海を意味した可能性が高い。

大印岐は八坂之入日子の世代、十市根の親の纏向珠城宮の世代、倭得玉彦の世代である。しかし、倭得玉彦は師木水垣朝末の襲名した建諸隅と考えられるので、纏向珠城宮世代の弟彦と同じ世代である。八坂之入日子は比古布都押之信の子の日子坐と大海姫の子で纏向珠城宮世代である。すなわち、大印岐の婿の乎止与も印岐、皇太子の五百之入日子の義父の乎止与の子の建稲種が印岐美(印君)である。

大海姫の子の海部直の祖を引き継いだ八坂之入日子は伊勢遺跡のある伊勢宮の豐鋤入日賣に婿入りして、安直の祖の水穗眞若と呼ばれた。水穗眞若は丹波美知能宇斯と義兄弟で、水穗眞若の子の山代之大筒木眞若は丹波道主の孫娘と考えられる丹波能阿治佐波毘賣に婿入りした。

山代之大筒木眞若は三野國造の弟彦である。三野國造は三野領主の弟彦が國造になったので、三野領主は八坂之入日子だった。そして、水穗眞若の兄弟の神大根(八瓜入日子)は初代伊理泥(大根)で、丹波道主の娘を妃に十市根(二代目伊理泥)が生まれた。十市根は八坂之入日子の娘の八坂之入日賣を妃に、山代之大筒木眞若は大根の娘の丹波能阿治佐波毘賣(弟比賣)を妃にした。古代の婚姻形態である。

師木天皇が彦與曽・沙本毘古と解り、倭志紀彦と呼べ、その娘の真鳥姫・阿邪美都比賣の婿が倭志紀縣主の祖の建新川・大印岐だ。志紀縣主の祖の印岐美は十市根の()兄弟で、三野國造の祖の大根の子の兄弟の建新川が大印岐、その娘婿の乎止与が迦迩米雷と考えられる。