2022年5月18日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書・天孫本紀系図のまとめ8

  前項に引き続いて、鬱色謎の子の大彦が大国王となって、大倭国は大国と若八国とに分裂し、朝廷の権威は『舊事本紀』「葛󠄀木直祖大諸見足尼女子諸見巳姫生」と葛城朝廷の姫を妃にすることで建諸隅が継承したが、実質、大神を祀る鬱色謎・欝色雄大臣兄弟と行政の王大祢の大綜杵、そして、鬱色謎の子の大国天皇の大彦と欝色雄の子の大伊賀彦、大彦の妃の大綜杵の娘の伊香色謎と伊香色雄大臣が最高権力者の朝廷だったと思われる。

すなわち、春日朝廷は大彦・物部連合大国朝廷と大倭の権威を持つ尾張倭国が対立していたと言え、力を失くした若国と三国の流れを汲む出雲の政権が存在したと思われる。

伊香色雄は崇神天皇・倭得玉彦と思われる倭志紀彦の娘の真鳥姫を妃にして、倭得玉彦も大伊賀姫・御眞津比賣を妃にして、さらに、倭得玉彦の子の沙本毘賣を渟川別の妃にして、朝廷を完全に掌握した。

伊香色雄が長溝の娘を4人を妃にしているが、恐らく、伊香色雄4代其々の妃ではないかと考えられ、垂仁天皇が美知宇斯の娘4人を妃にしているのも、4代の代々の垂仁天皇の妃を示し、伊香色雄も開化・崇神天皇の一人かもしれず、伊香色雄は皇位の璽の韴霊などを返上して、子の十市根は物部連の姓を磯城彦天皇から貰って、皇籍から外れた。

特に、伊香色雄は欝色雄の子の伊香色雄と大綜杵の子の伊香色雄が存在し、世代も欝色雄の子の2代目伊香色雄と大綜杵の子の初代伊香色雄は世代が重なっている可能性が高い。

鬱色謎が皇后になって欝色雄が政権を奪い、伊香色謎が皇后になって伊香色雄が政権を奪ったように、兄弟は一心同体で皇后の兄弟が姻戚になることで、政権を奪ったことが解り、崇神天皇の王朝も2代目大彦が御眞津姫を皇后に送り込んで、大倭国を奪取したのが『古事記』の神武天皇の始まりで、大彦親子と姻戚の木国王や坐王が三国配下の山背の支配者の玖賀耳の御笠を殺して山代から旦波国・高志道・東山道と大国・三国・野洲国の大・三・八国を平定して、政敵の建波迩安を撃ち、大国の宗教上の王の伊香色雄を配下にしたことを述べている。

そして、恐らく、大彦・渟川別が琵琶湖でのんびりしていた時に、木国王の姻戚の坐王(倭得玉)が、クーデターで前86年に「朕初承天位獲保宗廟」と天(海士)の皇子の朝廷を開いて尾張・能登から畿内・出雲・安芸を配下にした天子・天皇となり、葛城朝の彦は宿祢や帯彦、三国系の王は君、その他の下部の主は連が姓として与えられたようだ。

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