2022年5月13日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書・天孫本紀系図のまとめ6

  前項に続けて、池心宮天皇時代に大国領の大臣出雲王の出雲醜が尾張氏磯城彦の妹の真鳥姫を妃にして磯城彦・葛木彦と義兄弟になり、磯城彦が天皇、葛木彦が大臣・大国王、さらに、大国・八国を支配する大倭根子が天皇だった境原宮天皇時代に、大国王・大臣に復帰した鬱色謎が天皇の妃となって、子の大彦が春日宮天皇となり、物部一族は天皇の一族・皇太子と同等の大臣として氏は無く、磯城宮天皇が春日宮王朝を滅ぼし、伊香色雄は磯城宮天皇に協力し、磯城宮天皇の兄弟の真鳥姫を妃にして皇太子と同等の地位と変質した大臣となり、師木玉垣宮天皇の時に、皇室から除籍されて、物部大連を賜姓されたと考えられる。

すなわち、出雲醜・出石心大臣が分岐点で尾張氏の倭志紀彦・天忍人の妹真鳥姫と出雲醜の子は物部連、大神新河小楯姫と出石心の子が穗積臣の祖で、出雲醜の父の彦湯支が、出雲氏の娘を妃にして、「輕地回峽宮御宇天皇御世元為申食國政大夫以爲大臣」と、三国朝廷の後継を奪ったが、息石耳の婿の倭志紀彦・天忍人と真鳥姫に三国朝廷の後継者の出石心大臣が逆に奪われた。

出石心の近親者の出石姫が『舊事本紀』「天忍人命此命異妹角屋姫亦名葛󠄀木出石姫」・「遷腋上謂池心宮宇摩志麻治命後出石心命為大臣」と天忍人の妃となって、「秋津嶋宮御宇天皇・・・爲足尼」と 出雲醜の子が秋津島宮天皇の時に足尼となり、この時、葛木彦が倭(野洲)王になったと考えられる。

それは、『舊事本紀』孝昭天皇「三十一年春正月瀛津世襲命爲大臣六十八年春正月觀松彦香殖稻命立為皇太子年二十」と孝昭天皇が觀松彦孝昭天皇を皇太子にしたと記述して矛盾を生じ、論理的にも出石姫が葛城に住んで、真鳥姫と義姉妹、すなわち、倭志紀彦・天忍人の異妹にあたり、史書の天皇名觀松彦は葛城氏の王の名を記述したための矛盾が、ここでも噴出し、觀松彦は觀松という地名の王で黒田廬戸宮天皇のことだと『舊事本紀』は考えた。

葛木彦・羸津世襲の妃は記述されないが、『日本書紀』の一書の最初が葛城氏の妃と証明したように、「一云磯城縣主葉江女」の渟名城津媛は天忍人の娘、出石姫の娘と考えられ、出石心から大臣の地位を奪い、葛城氏が倭彦、さらに、大倭根子と天皇になり、鬱色謎を皇后にして欝色雄が大臣大国王の地位に復帰し、兄弟の子達が皇位を簒奪して、大臣が皇太子と同等となったようだ。

物部氏は、宇摩志麻治が「大神活目色五十呉桃女子帥長姫為妃」と大神の娘の師長姫を妃に、さらに、子の彦湯支は大神の一族の阿野姫を妃に「奉齋大神」と大神を祀って、「木開足尼」と木国の王に、その子の大祢すなわち大神・宗教上の大国王となったようで、三国朝廷は分裂して弱体化したようだ。

『舊事本紀』は「木開足尼」を記述しながら、出雲醜の子が「宿祢者始起此時」と宿祢の始めとして矛盾するが、安寧天皇時にも「大間宿禰」がいて、宿禰が三国朝廷の姓だったものを孝安天皇の時に波延朝廷の姓になったと考えられる。

そして、大綜杵は髙屋阿波良姫、磯城彦大目の子の髙屋大分國造祖の建弥阿久良の親族を妃にして、子の伊香色雄が天皇の璽を持つ春日宮天皇の後継者になった。

髙屋阿波良姫の髙屋は高岐国(高島)、高木神・高倉下が支配した高木国が支配する野洲王の、阿波は淡海の淡の良姫を意味すると考えられ、波延朝廷の姫である。

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