2017年11月8日水曜日

最終兵器の現天皇家の古代史 天氏の始まり

 天氏の歴史は古事記や先代旧事本紀に書かれていない、亦は共通な日本書紀の内容が天氏の神話と考えればよい。従って、常立尊を祀った地域が天氏の出自で、それ以降、伊弉諾より前の神はそれらの神話を上書きしたことを意味している。伊弉諾以前の神々は支配・被支配をまとめた神々で、伊弉諾すなわちイザナ岐の神話から日本の建国神話が始まったとゆうことだ。イザナ岐が神の子ヒルメを産んだ話に多くの氏族の神々を付け加えた神話が日本書紀の神話だ。そして、国産みも磤馭慮嶋を産んだのが始まりだけど、この島の語幹は「コロ」島で、大八島の隠伎之三子島を別名を天之忍許呂別と呼んでいる。いかにも「コロ」から分かれた島でそれが「隠伎之三子島」と言っているけれど隠岐の一番大きい島後を入れていない。その書いていない島後が「隠伎之親島」でまたの名が「天之忍許呂」と理解でき、この語幹も「コロ」となって「磤馭慮嶋」は隠岐の島の島後とゆうことになる。
『日本書紀』
開闢之初。洲壞浮漂。譬猶游魚之浮水上也。于時天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。
天之瓊矛、指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮。凝成一嶋。名之曰磤馭慮嶋。

隠岐の島の女王の支配下の宗像の姫と速素戔嗚の子の正哉吾勝勝速日天忍穗耳が天氏の始まりとなり、薩摩と火国と天国の支配者を意味し、官位も耳と大国の官位だ。これは、神武天皇が事代主の娘を娶ったと書いたように、事代主の支配領域が薩摩・火・天国だったと考えられる。そして、天国は古事記や先代旧事本紀で出現する「天」の別名を持つ島々「六合」だ。
『古事記』
次生隱伎之三子嶋、亦名天之忍許呂別・・・次生伊伎嶋、亦名謂天比登都柱・・・次生津嶋、亦名謂天之狹手依比賣。
『先代旧事本紀』
次姫島謂天一根 次血鹿島謂天之忍男 次両児島謂天両屋
『日本書紀』
閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇而不知晝夜之相代。

そして、忍穗耳の子の天津彦彦火瓊瓊杵尊すなわち対馬の長官で火の国の伊都に天降ったのが「瓊瓊杵」で、糸島には高祖山山麓に高祖神社・芥屋に太祖神社が現在もあり、糸島で建国だ。瓊瓊杵の子の彦火火出見尊は豊国の媛の豐玉姫を妃として氏の付かない自称天皇の立場すなわち、元天皇家の初代と言える。火火出見の子の彦波瀲武草葺不合尊と実質は草葺と不遇な立場だったが彦波瀲武草葺不合の子の若御毛沼が皇太子の手研耳とが糟屋郡の篠栗に紀元前188年に侵入し、紀元前181年に建国した。篠栗には太祖神社があり建国があったことが解るが、この地域は大国主に敗れた事代主の領域だったため、その子孫の媛の五十鈴媛の子たちが現在の天皇家の血筋になっている。皇太子の手研耳は領地の媛の子でなかったので、長官の地位は得られたが王家の血筋にはなれなかったようだ。この地域は、もとも甕棺墓が行われていたけれど、最初に甕棺墓が消失していく地域で、考古学的にも対応している。建国の年数は、日本書紀が天皇家の時計で記述してあり、それは、天皇家は宮の始まりが元年で、仲哀天皇以前は立太子が宮の始まりで天皇の元年となることを証明した。その結果が建国・紀元前181年だった。紀元前86年に大倭国が東鯷国を滅ぼし、孝昭天皇の頃、天皇家も大倭国を建国して天足彦と名乗り間に事代主の国の狗奴国があり大倭国と共存できた。しかし、西暦82年に狗奴国が筑後北部に追いやられ倭国が狗奴国とぶつかる事になった。建武中元二年西暦57年に、「漢委奴國王」の印綬を受けて中国の冊封体制に入った倭国は晋に泣きついた。委奴は猪野皇大神宮の猪野で倭国は猪国のことで、後漢書の「邪馬臺」国は山田猪国で山田や斎宮のある場所だ。
『日本書紀』
崇神天皇四年(丁亥前94)十月壬午
惟我皇祖。諸天皇等。光臨宸極者。豈爲一身乎。蓋所以司牧人神經綸天下。故能世闡玄功。時流至徳。今朕奉承大運。愛育黎元。何當聿遵皇祖之跡。永保無窮之祚。
景行天皇十二年(壬午82)九月戊辰  到豐前國長峽縣。興行宮而居。故號其處曰京也。
『後漢書』 卷八十五 東夷列傳第七十五
國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
『三国志』
南至邪馬壹國女王之所都・・・其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王

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