2017年3月31日金曜日

最終兵器のミサ ツヅキガラって

 いままで天皇の名前を使ってきたんだけど、天皇の名前って後からつけた名前ってことなんだけど、でも書いてある名前は昔の名前で違うイエガラの本のはずなのに名前はおんなじなんだよね、すくなくともジョメイ天皇まではゲンメイ天皇のオスミツキってわけ、だから、ジョメイ天皇まではもうミンナが知ってたってこと、で、そんなことを書いた人がいたんだあよね、そお、ソガさんって人、昔の人は本があると写すもんだから、字が書ける人はみんなが写すんだからみんな知ってるはずじゃない、字を知ってる人が天皇のまわりにしかいないときは1冊か2冊しかないかもしれんけどね、だから天皇の名前と宮の名前は違わないんだけど、古っい物を見ると古事記や日本書紀とあう名前はみんな宮の名前なんだよね、人の名前が書いてあるのは無理やりこじつけないと合わないんだ、てことは、日本の古い時間は宮をもとに書かれているんだよってこと。
最初に、島根のひとのムカシ話の集まりだった本をもっていて、伊都の人が中国のコヨミを知って日記をつけだし、福岡の人が2つをくっつけてツヅキガラの本を書きだしたんだけど、福岡の人も人の名前はまとめて書いちゃったんだ、だってこの頃は人の名前って、職業と家の名前と初代の名前の何代目でみんな知ってんだもんな、で、日記はタカチホの宮ってとこに住んでいる初代の名前はホホデミって王様で古事記を書きだしたころには初代が分家してから580年たってまだ続いてるよっていってんよ。
そうすと、古事記って日記になってないよねなんで?、ようは、日記とツヅキガラを別々に書くのが普通で、日記はてっぺんになった人が持ってるものってことじゃないの、だから、古事記を書いた人は日記を盗られちゃったからいくら前にてっぺんだったからってどうやって内容を並べ替えていいのかわかんなくなちゃったんじゃないの。
だから、時間の物差しはてっぺんになった人が持ってるから、へたに変えちゃうとわけがわからなくなっちゃうから、ゲンメイ天皇はジブンチはオオモノヌシさんに連れられて奈良にやってきて、こんな地位だったんだよぉって書いて、で、最後のケイタイ天皇の宮のとき、モノノベさんのときからてっぺんの周りの偉い人になれたからてっぺんについて回るから同じ宮ってことになるんよね、で、ジョメイ天皇の宮のところまでソガさんは書いていたんだけど、殺されちゃったってことなの。
だから、天皇の名前と宮ってゆうツヅキガラはね、ゲンメイ天皇っちのジンム天皇からスイニン天皇まで、福岡の人んちのチュウアイ天皇まで、大分の人んちのニンケン天皇まで、モノノベさんっちのセンカ天皇まで、ソガさんっちのジョメイ天皇まで、で、ソガさんが死んじゃったから福岡の人んっちのテンム天皇までってことじゃないで、大分の人のところからはソガさんが福岡の人んっちの時間をつかっているってこと、だから、隋書ともあわないし、仏さんに書いてあることとあわない、だってこの時はソガさんが書いているから関係ないもんね、ソガオオオミってソガ天皇っとおんなじことでいっちばん偉いんよ。
じゃ、福岡の人が天皇って言いだしたのはいつからかなぁって思わない?、フネって王のお墓に668年に書いてあったんだけどね、日本書紀がない時オサダって宮にいた人を天皇と言ってるんだ、これビダツ天皇じゃないっておもえるんだけど、スシュン天皇のときにオサダ天皇を葬ってるんよ、で、この文ってヨウメイ天皇もスシュン天皇もシカトしてスイコ天皇・ジョメイ天皇って書いたあって奥さんがそれから27年も生きるんだ、ちょっと年の差カップル、うむうむ、オサダをスシュン天皇ってしたほうが若死ってカンジデでよさげてことで、ヨウメイ天皇の次の天皇ってことで、モノノベさんを倒した人から天皇って呼んでるんだ、で、その前はオオキミ、奥さんはオウキサキとか呼ぶときはキミってこと。

2017年3月29日水曜日

最終兵器のミサ 聖徳太子って

 倭国でもう一つオッカシイって思えるのが聖徳太子のことじゃないかな、今じゃ聖徳太子っていなかったってことにしちゃおうって、ようは日本書紀に出てこないもんでこまっちゃうんよね。
でもさ、706年にほったってゆう聖徳皇ってゆう文字が日本書紀にないってゆうことで無かったことにしていいの、うつし間違いってことにしていいの、この文って日本書紀ができる前の文なんだよ、で、この文にはウエミヤ太子聖徳皇ってほってあったって鎌倉時代の本に書いてあるだけど、ウエミヤってゆうと法隆寺の仏さんの後ろにホウコウ31年に上宮法皇が亡くなったってほってあるんだけどこの死んだ人が聖徳太子じゃないのておもっている人が多いっていうはなし。
このころは、これまで話してきた通り、みんなはスイコ天皇っていってるけど新唐書がヨウメイ天皇っていってるときで、そのなかに夜があけたら、弟に政治を任せるって言ってるんだ、で、スイコ天皇のところで、天皇になってすぐに立太子してる、これって今まで言っていた通り新しい宮の人が政治をしたってこと、で、ヨウメイ天皇ってお坊さんのような座り方をしていてるんよ、で、自分を天子って言ってるん、天子ってゆうと、隋ではヨウダイっていう元号みたいな名前をもってるよね、だ・か・らホウコウってのはこの天皇がホウコウ帝ってよびなってことになったんじゃない、で、弟の太子(天皇)も昼間は政治を行っているからもう一人の皇帝ってゆうわけでショウトク帝って呼んだんじゃないの、そんで、隋におこられたもんでこのショウトクさんを出家させて法皇にしてウエミヤ法皇ってこと。
だから、ショウトク太子ってトヨトミミって名じゃ無いかもしれないけど、でも、いろんな本にトヨトミミって書いていて、チスジは目いっぱいキャクショクしてるからよくわかんない、で、九州の年号って言われる年号でタンセイっていう年号があるんだけど、資料にスイコ天皇のタンセイとスシュン天皇のタンセイって書いてあるんよ、2代ずれるとヨウメイ天皇とビダツ天皇の兄弟だよね、で決まりに従って考えるとビダツ天皇がショウトク太子だけどお兄さんなんだな、でもツヅキガラはどうなのかな、すくなくともリカヤタフツリって太子は違うと思うよ、だってそれならふつう太子は長男なんだから太子が弟なら弟って書くよね。
ショウトク太子のことは日本書紀ができてからもいっぱい書いてあって訳がわからなくなってるんだな、もうちょっと調べさせてほしいけど、少なくとも古事記に書いたセッテイはたいていスイコ天皇はテンチ天皇のことだとおもうよ

2017年3月27日月曜日

最終兵器のミサ 邪馬台国って

 福岡の人のことを書いたんだけど、じゃ邪馬台国は、卑弥呼はって聞こえてきそうだけど、邪馬台国は書いちゃったよね、で、卑弥呼がいたところは少なくともカシイ宮のそばじゃない、じゃ、ジングウ皇后が卑弥呼って、でも卑弥呼ってドクシンだよね、でセイム天皇って古事記では子がいるけど日本書紀にはいないよね、じゃ、セイム天皇が卑弥呼ってゆうの?、そう、セイム天皇が卑弥呼なの、天皇になった年が24歳で年齢がこの時代にしては若くないし、ありがたく鏡を使って国の境を決めてるし、これ、作りがいい中国の鏡じゃない
セイム天皇ってケイコウ天皇のあとなんだけど、ずっと言ってきたように、子のいないセイム天皇って困るんよね、子がいないんなら天皇になったら立太子しなきゃね、で、スイニン天皇が立太子したときの立太子はセイム天皇のことで、一緒にケイコウ天皇も立太子したってことで、ケイコウ天皇が卑弥呼の弟ってこと、だもんで、セイム天皇が決めたイナギっていうのが本来セイム天皇のまえのケイコウ天皇のとこに出てきちゃうんだよね、で、セイム天皇が47年国を治めて死んじゃったんで、男の王様を選んだんだけど国がまとまらなかったもんでトヨさんを天皇にしたんだけどそれがジングウ皇后でいっしょにケイコウ天皇の分家のチュウアイ天皇が天皇になったんよ、で、ジングウ皇后の宮はスイニン天皇の宮だったってこと。
で、セイム天皇の宮はアワミのシカ宮で、これ、ケイコウ天皇も最後の3年間いたって書いてあるんよね、で、アワミっていうのは川の水と海水が混じったとこで、ちょうど金の印かんが出てきた志賀島の南ってそうな、で、卑弥呼がシカ宮でジングウ皇后の宮はやっぱりその近くのカシイの宮ってわけ、そら、志賀島や海の中道がフミ国って言ったけどその通りじゃない、で、このころまでいっぱい伊勢神宮って出てくるから、伊勢神宮ってのはイツキの宮もヤマダムラにあるしイノコウタイジングウのこっちゃないの。
だけど、このころはまだ力がなくって島根の国の人の力が及んでいて島根の国の位をそのまま使ったり、鏡をありがたがったりだし、大分の国の人の墓もマネたり、大分の国がコノ国を苛めるから福岡の国にコノ国が攻めてくるはでタイヘンなんで中国にお願いして守ってもらってるんだよ。
だから、朝鮮に行って島根の国の人と仲がいい国を攻めていて、大分の人と仲のいい国も自分のものって中国に訴えているんだけど残念なことに認めてくれてないんだよね、きっと大分の国の人ってうまく立ち回ってるんだね、きっと日本と倭国のカゲにカクれて目立たないようにして、朝鮮のことは仲のいい国に戦わせて自分はあまり武器を使わないで大きな墓を造り続けるんだもんね、今の日本みたいだな。

2017年3月25日土曜日

最終兵器のミサ 日本のことはわかったけど福岡の人のことって

 いままで、日本のことを書いてきたけれども、古事記の扱わない国で三国志で倭国って言っている国のことがよくわからないよね、もちろん日本ってゆう倭種の西にある国が倭国で福岡の人ってことだねぇ。
矛で王様を守ってて、鏡をたくさんもらった国で、朝鮮と戦争をくりかえして、隋の天子と対等ってうぬぼれたら怒られちゃってシッュンてなって謝っちゃって、中国とソウダンしてソガさんを暗殺しちゃって、国がアンテイするまで中国の人にいてもらったんだけどケッキョクジメツしちゃった国ってこと。
そして、てっぺんを次にとっちゃった人がブンカのナイヨウがすくないもんで天皇の宮全部使ってもらえちゃって、天皇の宮の名前が年を決めるモノサシになったってことで、ある事件はこの天皇の宮のいついつに起こったんだってみんなが言っていたから丁度よかったんだろうね。
で、福岡の人は前に書いたように、タイソ神社がある糟屋ってとこに国を造ったんだけど、紀元前88年に西の方に攻め込ん、この時ジンム天皇の本家をやっつけて、紀元前86年にアマタラシヒコをシュウメイしたってこと、本家がアマタラシヒコだったってこと。
で、中国と日本がうまくいっていないのをみて、西暦57年にシタナメズリで中国に出かけてカンノイノコクオウって印をもらっちゃって、ウッキウキってこ、糟屋郡にはイノコウタイジングウって神社があるんだけどイノ国とチョウドおんなじじゃん、で、ナ国じゃねって言ってたとこに字をホった年が125年ってかいてある板がでてきて、宮を造ったよって書いてあるんだけど、ちょうど次の年スジン天皇に天皇が変わるんよ。
で、200年にやっと福岡の大野城市や朝倉市・山門郡・そして、伊都の隣の松浦をせめているけどぉ、これが三国志に出てくる邪馬台国のシハイしているところで、ちょうどコトシロヌシの文化のカメカンがあってそれが無くなっていくところじゃないんかな、で、倭の5王は日本書紀だとインギョウ天皇なんだけどホセイすると、アンコウ天皇がサン、ユウリャク天皇の1代目がチン、2代目がセイでここまでが日本書紀ではインギョウ天皇で、日本書紀ではユウリャク天皇だけどホセイするとセイネイ天皇でコウ、日本書紀ではセイネイ天皇からブレツ天皇まででこの4人は同じ人が宮をかえたっていうことでホセイするとケンソウ天皇がブだとわかるんだ、で、イワイって人って八女に岩戸山古墳ってゆうお墓を造ってるよね、八女ってモノノベさんの居た久留米の近くなんだよね、だから、モノノベさんと糟屋郡のイワイさんがつるんでイワイさんは死んじゃったけど子供のクズコさん、この人アンカン天皇のようなんだけどこの天皇の奥さんは日本書紀ではモノノベさんの娘で、クズコさんがナカトミさんもモノノベさんについて大分の人をやっつけちゃったってことじゃないの、で、アンカン天皇の奥さんってほかは大分の人の娘さんばっかりで、大分の人の領地を日本全体から奪っていて、ようはメイジイシンのニシキノミハタってことで、この時、福岡の人は九州島を手に入れて名前を九州ってして、中国にいっていた場所を自分のものってのはオオモリのタテマエってことでもしほんとなら朝鮮の一部をはぶかないよね、ほんとうは三国志時代とあんまり変わってなかったってことで、ヨウメイ天皇まで福岡の人は筑後平野を都にしていたってこと。
で、スシュン天皇は明治の薩長とおんなじだから、ヨウメイ天皇の終わりのときにモノノベさんを大分の人のソガさんと一緒にやっつけて、このときモノノベさんの子分のナカトミさんが裏切って、最後はナカトミさんとテンチ天皇がソガさんをやっつけて、やっと島根の人も大分の人もつぶれちゃって、福岡の人が日本をてにいれちゃったってこと。

2017年3月23日木曜日

最終兵器のミサ 大分の人の国って

 古事記でジンム天皇ってトヨミケヌって人のことと言ったんだけど、その子でカミヤイミミって分家さんがいるんだけどその人ってオオオミや大分・阿蘇・火の国の他に関東地方までの親分の先祖って言ってるんよね、これ大分の人の先祖だっていってるんよね。
で、コウゲン天皇ヒコフツオシノマコトって皇子がいるんだけど、これは、コウゲン天皇の時代っていみで本当のところはトヨミケヌの子孫で、ヒコフツオシノマコトってタケウチさんのおじいさんなんだけど、どうやらこの人が西暦82年に広島と山口の境ちかくのスホウってところから福岡の京都郡に押し入って宮を建てたみたいで、そのあと、大分・宮崎・鹿児島・熊本・福岡県南部と地名をつけているけど、今まであったところに地名をつけるってことは、その地を自分のものにしたってことで、後漢書に書いてあった、倭国の東のコノ国がこの地域だったんじゃないってこと。
で、ヒコフツオシノマコトって人の分家のヤヌシオシオタケオゴコロってゆう人この人はおそらく八国は言い過ぎだから屋島を中心にしていた人なんだろうけど、この人がオオモノヌシの子孫から地位を奪っちゃったんじゃない、で、タケウチさんが島根の人から日本をうばっててっぺんになっちゃった、で、島根の人はオオトモさんがツいで、モノノベさんはクルメのほうに移されたってことで、それがタマタルの言い伝えってこと。
で、この大分の人って、日本とは名のらなかったみたいで中国の本に499年に日本から中国に坊さんがやってきて、自分の国はフソウ国といってイクサをしない平和な国で扶桑の木の皮で紙もつくってるよっていってるんだ、で、この国のお墓の形が朝鮮でも使われているんだ、どお、朝鮮のひとにそんけいされてそうだね。
で、何人かの分家がカケイを継いだんだけど、ヘグリさんからコセさんが大分の人の国を継いで、しかも、日本国もツいじゃって、中国を後ろ盾にした福岡の人をやっつけようとしたんだけど、一度はイワイって王様をやっつけたんだけど、日本国の王様だけど大分の人の子分みたいな待遇のモノノベさんが裏切って531年にコセさん一家が皆殺しされちゃって、モノノベさんが日本のてっぺんになったんだ。
だけどね、この大分の人の分家でソガさんって人がモノノベさんをやっつけて、日本って国を継いだんだけどね、福岡の人が思い上がっちゃって中国の人を怒らせるは、ソガさんがなさけにほだされて、朝鮮のつぶれそうな大分の人の友達の国を助けようとしちゃって大負け、で、福岡の人はこりゃあ大変ってゆうことで、ソガさんをフイウチしちゃって殺しちゃったんだよね。
で、福岡の人がとうとうカンペキな日本のてっぺんに立てたっておもったんだけどテンム天皇が中国とうまくやっていたオオトモ皇子を殺しちゃうもんだから、逆にテンム天皇がおいだされちゃって、あとで取り戻したんだけどケッキョク今度はフジワラさんってゆうジツリョクシャがあらわれちゃったてこと。
でもねぇ、日本も福岡の人がいたから平和な生活をたのしめたんだよねぇ、福岡の人がいなかったら日本は中国に怒られてやられちゃうか、中国と協力して朝鮮を攻めてヨケイ中国と悪いカンケイになったかもねぇ。

2017年3月21日火曜日

最終兵器のミサ 最初に天皇になった島根の人の国って

 神話ってすっごくたくさんの神様が出てくるけど、どうしてかなっておもったことなあい、土地や神の子を産むのはイザナミとイザナギってゆうクジラの神様なんだけど、その前?て思うよね、でそれより前の神様ってのはイザナミとイザナギさんの神話を持っていたお国を奪っちゃった人たちがその前にその国の神様の名前を書いちゃったってことじゃない、だって、奪った人が遠慮して後に書くなんてないよね、だから、一番最初に書いてある神様が本を書いた人たちの神様ってことで、それが、福岡の人の日本書紀の神様で大分の人の古事記の神様ってわけ。
じゃ、イザナミ・イザナギって神様ってどこの人って思うよね、で最初につくったところがオノゴロ島で、いろいろ島をつくってゆくんだけど(これはクジラが子供を産むとこと火山の島が出来るところから考えたんじゃ)その中に、隠岐の三つ子の島をつくっているんだけど、その島に名前があって天ノオシコロ別って名前なんだけど、隠岐の島って大きい島が4つあるんよね、でもう1っこいっちん大きい島がないんだよ、じゃこのいっちん大きい島ってて考えていたらふっとオシコロ島じゃないって思ったの、だって小さい島のなまえって大きい全体から分けたって感じじゃない
で、8どころじゃないけどオオヤシマって国をつくるんだけど、ようは船をこいでいろんなとこと商売をしたってことで、持ってくのはコクヨウセキってゆう武器の道具で、帰ってくるときはお宝をどっさり、お宝も多いからそれもいっしょに交換するよね、ついでにお米やブンカも仕入れてきそうだよね。
で、その国の名前がヤ国ってこと、イナバノシロウサギって神話があるけど、ウサギの親分はヤガミヒメって人でヤの神の姫、そで、その姫様をオオクニヌシ(先代のオオムナチでオオクニヌシは分家)さんが嫁さんにするってことで、ヤ国がオオヤ国になったってことじゃない、で、シロウサギって言っているけどほんとうはスウサギで、これスサノオのスとおんなじじゃない、だから、スサノオは海を与えられたってことで、シマをキって言っていたようなので、ツシマってツキって言えそうだよね、だから、ツキヨミさんはツシマの神様でツシマはヨミの国アマさんたちは死ぬと葦で造った船に乗せて流したんだけど、対馬海流にのってツシマに死体が流れてくるからヨミの国ってこと、で、アマテラスオオミカミさんはオキの大国の時の神様ってこと。
ちょっとまった、オオモノヌシやコトシロヌシってどんな神様なのって、言われそうだから考えたんだけど、オオクニヌシさんて自分の子が支配してるとこにまた押し入ったりしてるみたいなんだよね、じつは、コトシロヌシさんやオオモノヌシさんはオオクニヌシさんより前に王様だったんじゃないの、でその国をオオクニヌシさんが奪っちゃって子分にしちゃったんじゃないの、コトシロヌシさんは福岡をオオモノヌシさんは広島を、タケミナカタさんは長野、ニギハヤヒさんは大阪で王様をしていたってことじゃない、で、オオクニヌシさんはオオモノヌシさんを子分にして奈良攻めさせたってこと、福岡はどうせコトシロヌシさんのものだからいいやって福岡の人にあげちゃたってこと、で、いっちばん強かったニギハヤヒさんは紀元前88年にオオヒコさんに攻め入られて滅んじゃったってこと。
でもって、古事記を見ると、カイカ天皇の時の子供が様でいっぱいなんだな、子が王だったら親はなんてよぶんだろぅって、王様の上は皇帝しかないじゃない、で、中国にはちゃんと皇帝がいるから島根の人も皇帝になっちゃったの、それが天皇ってわけで、ジングウ皇后の時に朝鮮の人が日本って国があって天皇っていう人がいるって言ってるんよ、だから、カイカ天皇の時代に島根の人は自分の国を日本といって天皇ってゆう皇帝になったってこと。
でまた、ケイタイ天皇の時にカイゲンしたって書いてあるんだけど、皇帝は元号を持っているよねぇ、そでね、いつ皇帝になったんだろうってかんがえるとね、中国があんたは中国の部下のお王様だよぉって印を渡してるんだけど、どうしてなのかな、こう考えられないかな、日本って国の王様が皇帝だっていって元号をつくったらしい、許せんってならない、じゃあいつもアイサツに来るイノ国ってのに中国の王様ってみとめちゃって日本をイジメちゃおうじゃないってことになると思わない、だから、ちっちゃな福岡の人が生き延びることが出来ちゃったっておもわない、で中国は日本って国を無視して東にはワシュっていって国とかいていないんじゃない、で、日本が皇帝って言ったのが、紀元前94年のコウソの跡を継いだって言ったときじゃない
中国の本を見ていると朝鮮が日本を尊敬しているって書いてるんだけど朝鮮の本は攻めてきたって話ばかりなんだよね、これは日本が2つあって敵の日本と味方の日本ってことで、福岡の人って朝鮮をやっつけたって言ってるじゃない、だから島根の人は朝鮮に尊敬されていて朝鮮の皇太子も日本に宝物をいっぱい持ってやって来たってゆうこと。

2017年3月19日日曜日

最終兵器のミサ 日本書紀の日記

 王様のツヅキガラはわかったけど、日記はどうなんよって聞こえてきそうだけど、それが、日記は正しそうなんよ、てゆうのは、まず、ジングウ皇后と三国志の記事はもうばっちりあっていて、日記らしいこと書き始めるのが紀元前94年のコウソの位をもらったって初めて言い放った記事なんだよ、で、立太子で天皇を引きツいだってケイサンすると、この年ってコウショウ天皇の2年目なんだけど、この天皇の子にアマタラシヒコって名が付いているんだ、これ、おぼえてない、そぉ、ヨウメイ天皇が中国の本にこの天皇の名前ってでてきた名前だよ、で、紀元前86年に初めてアマの位をもらったって、で、アマタラシヒコってピッタリじゃない
で、そのとき何があったかってゆうと、4方に攻めたって書いてあるんだけど、書いてのは福岡の人だから、九州の西の方を攻めたってことで、これで、どうやら伊都を手に入れて文字を手にしたんじゃないかなぁ、で、島根の人たちは銅鐸の国に押し入って大阪の北部、奈良の北部、京都あたりを手に入れたってことで、このときモノノベさんの先祖がイソノカミ神宮で王様になったってこと。だって、宝物をもつのは王様で自分の手元におくしょ、これって日本の最初の正倉院ってことで、ずっと残っているってことは、ずっとこのへんが日本の中心だったってことで、違うところだったら場所が変わってるしょ。
で、カクキョセイってゆう朝鮮のバカンの王様がいるんだけど、おかしなことにこのバカンってシンカンってゆう国から独立したんだけどシンカンより先に王様がいるんだね、そんで、このカクキョセイって王様は中国のお姫様の子だってゆうんだけどなぜだか海を渡ってくるんだなぁ??、なんで海を??、これ以上は人の国のプライドに関係するからいわない、それから、このカクキョセイって王様もイジョウに長い間王様についているよ、なんか日本にているよね、んで、この国の2代目の王様に変わるちょっと前の紀元前27年に皇太子だったんだけど弟にゆずって日本にやってきてタジマってゆう兵庫県にすんだん、で、その80年後ぐらいにこのタジマのお姫さんが産んだ子がシンカンの王様になったてことだけど、なんか都合よくない。
から、銅の道具がよく出る時の真ん中ぐらいから銅鐸が減っていくんだけど、ちょうどこの頃からで、日本はその土地の姫様を嫁にしてその子たちがだんだん支配していくってゆう方法だから、変わり方がものすごくおそいから、銅鐸がなくなるのに200年くらいかかっちゃう。
でもって、銅の道具を調べたついでに、古事記で鏡を見てみると、神話ではいっぱい出てくるんだけど、それ以外は朝鮮からもらったってゆうぐらいで全く出てこないんだよ、てことは、有名なサンカクブチシンジュウキョウってゆう鏡って大分の人ってゼンゼン関心なしってゆうこと、じゃあだれが大事にしたのってゆうと、福岡の人の本をもとにしたんだから、そこからわざわざけしちゃったってことは、鏡は島根の人のものってことなんよ、で、ゼンポウコウエンフンを造り始めたころもサンカクブチシンジュウキョウがつくられるんだけど、そのうちに消えていったんだ、これは、大分の人が興味ないからみんなに分けなくなったってことだから、この時に大分のジングウ皇后が大阪に攻めて支配したってこと、で、2代ずれているからニントク天皇の時代ってことで、それがタケウチさんで日本のてっぺんになれたんでオオオミになったってことだけど、サンシュのジンキって天皇のシルシなんだけど、これって、剣と鏡と宝石ってこれ島根の人の宝じゃない、福岡の人は剣じゃなくって矛で、大分の人は鏡に興味なしってことで、天皇はもともと島根の人だったってこと。
だけど、倭の5王って有名な王様がぜんぜん書かれていないじゃない聞こえてきそうだけど、だって書く必要ないじゃない、あれは福岡の人の話で、大分の人の話じゃないんだからね。