2022年4月6日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書-神・王家の系譜のまとめ2

  『伊未自由来記』では佐奈臣の子の佐の男が加須屋大海祇の大神・ 大人様(大人国)の援助(三身の綱)で於漏知を追い出し、隠岐全体を統治し、この大人(おおと)様は加須屋の大国の神といい、大国の子で、加須屋には大人国の港があったことを示し、『出雲風土記』の国引きした「八束水臣」は、八津河神津於神、「やつか(八津河)みつおみ(神津臣)」、八国河神配下の神津臣・川の船着き場の国神の「佐野臣」を示す。

すなわち、「ひる子」は船を操る対馬の漁師の夜神(よみ)・娥皇を祀る統治者で、分国宗像の「日孁貴」の子は瀛津島・隠岐と市杵島・壱岐と瑞津島、おそらく安芸に漁の港を造り、帝俊が宗像の領地を拡げて三身国と呼ばれる連合体をつくって隠岐を援助して、隠岐(周饒国)の素戔嗚が和珥氏の祖先の聖人の大人国を併合したようだ。

佐の男は八国の於漏知が支配する君主国・三国の櫛名田比賣に婿入りして、於漏知を降し、子が八島士奴美、義父が宮主(神八主)須賀之八耳、すなわち、君主国が八国を統治し、耳は三(神)国神の意味で、久奴須奴神、夜禮花神、淤美豆奴神、冬衣神、大国主と君子国が大国も支配し、元の大国王を御中主として「葦原中國」に宮殿を造って追い出した。

八島士奴美は大己貴の一人とされとされるが「美」すなわち神・女性で、八国の女の八上姫と合祀されて三国の神祖の木俣神・御井神、すなわち、宮に土地神の井神が祀られ、須賀宮主が木神子・君子と呼ばれる君子国が誕生したと考えられる。

事代主は大国王を大国主と呼ぶように、大国の役職である事代主を示し、『古事記』では母が神屋(宮)楯比賣と三八国に宮殿を持った女王で、『舊事本紀』では高津姫で妹が髙照光姫なので、高御産巣日・高倉下と同じ地域の出身の八国の宮殿の皇子ようで、八重事代主と呼ばれる。

「おほなむぢ」の嫡后の須勢理姫が「大三輪大神嫡后也」と記述され、大国・三国・八国を支配する大国の神と記述されるので、建御名方が髙志の姫の子で三国の王なら、事代主は倭(八)国の王で、大穴牟遲は大国・三国・倭国の連合体の国の王である。

三身国の神「日神」の配下となった隠岐の神の「隠神・おみ」の勢力を拡げる「女(な)」・「日女(ひな)」の子の「日人(ひと)」が各地の「みな」の婿になって「日子」を、各地の国神「みな」も「日女(ひめ)」を名乗り、神の日女と武力行使をする日子となったと思われる。

その土地神「遲」から「彦・姫」に呼び方が変わり、奇稲田姫が神で、足名椎が「馳」から宮主と役職を得て、姓が「八耳」と隠岐の国神が臣、三国の神が君、三国の領地の国神が耳、そして、三嶋溝杭の娘の玉櫛媛・勢夜陀多良比賣・活玉依姫の子が奇日方で奇稲田姫と同地域の人物、建御名方に対応する人物で、活玉依姫は波延と同族の倭迹迹日百襲姫と同じ説話を持ち、三国と八国(野洲)が同じ神話を持っている。

そして、宇迦之御魂神の「たま」と玉依姫の「たま」と同一氏族と思われる姫の子の御(三)毛沼、すなわち、三国の毛沼が野洲王の事代主・手研耳と共に移住し、 事代主は君子の三嶋溝杭の娘の勢夜陀多良比賣を妃に五十鈴姫・奇日方が生まれ、手研耳(「くし」を統治する三国神の皇太子の意味)から奇日方が支配権を奪い、三国(君主国)主導で八国との連合国の宮王朝が前660年に成立したと思われる。

御(三)毛沼の父は「うかやふきあえず」だが、草葺が氏というのは地名ではなく異質で、実際は「宇迦八」の「(伊)吹」の「あえ」「津」の尊で、宇迦朝廷の八国の 津の国神と考えると符合する。


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