2022年4月4日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書-神・王家の系譜のまとめ1

  日本の神の「み」は漁師が船を操って生活する「う~み・生む神・海」の「う」、さらに川の神の「河の神・河神・かみ」の「か」、木の神の「きのみ・岐神・きみ」の「き」の神で、河や木は一人で採取出来るが、鯨などは一族全員を動かす統治者が必要なため神の「う」が統治し、統治されるのが「うし・生衆・大人」と考えられる。

複数の一族が集まる氏族の人々に上下関係が出来ると、支配されるのは「人達・とち・野地・洲遲」の「ち」で、家族神が集まると支配神は生む神の女神の「みな(神汝・神女)」、「みな」を守る「と・人」がいて「と・門」があり、神が住むのが海の「みなと(港)」、河の「みづ(神津)」、「み(神)」を守る「み(神)さきもり(前守)」、配下が国神の「ち(霊)」、そして、神の後継の娘が「みこ・神子」と、他の「神女」と区別されたと思われる。

『伊未自由来記』で隠岐に「木の葉比等」がやって来たのはこのあとの複数氏族の共同生活・邑が始まった時代で、日邑(日国)の日(神)の「日(神)子」の配下の「日人」、日人の一人が船で西千里の加羅斯呂(?この時、韓は存在せず日の邑の六合・壱岐・対馬)から隠岐に到来して「木の葉爺」と木葉邑神の「遲」と呼ばれるようになったようだ。

神の息子達は「みこと・神子人・尊」で、『日本書紀』で一番最初の支配神はまだ地名が無い六合の「ひる」と考えられ、統治者・神子が「ひる子」で、娘たちが「ひるめ」、「ひる」は「よる」と対の神で、「女子國在巫咸北兩女子居」と記述される対馬の神、「ひる」に対して一方が「よ・夜」で、上下関係が出来て、「よみ・夜神」と「ひる女」へと変化して、「よみ」を祀る多くの「ひるめ」の邑々の中で、「む(宗像)」という邑から丈夫国が誕生して、「日孁貴」・「未有若此靈異之兒」という霊・「む国の馳」という神「ひる」に対する国神「ち」が出現した。

『伊未自由来記』では「木の葉邑」の「馳」の「木の葉爺」を中心に焼火山で火を守る夷守が始まる隠岐の沖の島の神話で、同族が、そして、さらに海人達が次々と漂着する、アカホヤを思わせ、海人達の神を於母島に住む「於佐」神、「佐」は漁港で狭まる場所の「狭」と考えられ、すなわち、国神の「狭の隠」神で佐野臣、「遲」を於国(周饒國)は「臣」と呼び、その神子人・尊の一人が須(洲の)佐之男命である。

そして、於国の木神の「女・な」が「な木」で、於佐神は於の母島、於の「凝呂島」の島後の奈岐の浦に住む奈木(なき)が王だったけれど、海人の於佐神と合祀・習合されて於佐奈岐・於佐奈神と呼ばれたと考えられ、佐の男が「於漏知」と闘ったのが「八岐大蛇」伝説と思われ、隠国の神が於佐奈岐・於佐奈神なので、佐奈岐・佐奈神が壱岐を支配して壱佐奈岐・壱佐奈神と呼ばれる。

「木の葉比等」が加羅斯呂から来たのを六合と考えたのは、筑紫が「白日別」と呼ぶように、日という地域があり、於佐奈神を生んだのは「神靈所生」の(白)日から別れたのが筑紫、於佐奈神を生んだのは「巫咸國」・壱岐の漁港の壱狭の女神「壱狭な」岐(神)の子、「木の葉比等」も壱狭の女神「壱狭汝」木(岐神)の子と考えたからで、巫咸国には「群巫所從」と配下の巫(巫女)が集まると記述され、神有月・神無月の原型で、一大率という官職は神が壱岐に集まったので、その地位を伊都が奪ったと考えられる。

ちなみに、三身国を生んだ娥皇は娥影(月)の皇・夜の皇であることから、『日本書紀』の著者は『山海經』の娥皇から「月読」を「津岐夜神」の表意文字にしたと考えられ、一大率がいた壱岐が日(別)国で対馬が加羅斯呂の白(斯呂)日国、宗像が白日別と考えられ、対馬の分国の宗像丈夫国が壱岐・隠岐・豊日の安芸へと勢力を拡大したと考えられ、「志羅紀」は白岐・軒轅之國で国王・神霊は日本海の六合で生まれているので六合に含まれる対馬の分国だったと考えられる。

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