2022年4月15日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書・天孫本紀系図のまとめ3

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は『天孫本紀』は「天香語山命異妹穗屋姫命為妻生一男孫天村雲命亦名天五多底此命阿俾良依姫爲妻生二男一女三世孫天忍人命此命異妹角屋姫亦名葛󠄀木出石姫非生二男次天忍男命葛󠄀木土神劔根命女賀奈良知姫為妻生二男一女妹忍日女命四世孫羸津世襲命亦云葛󠄀木彦命尾張連等祖天忍男命之子此命池心朝御世為大連供奉次建額赤命此命葛󠄀城尾治置姫為妻生一男妹世襲足姫命亦名日置姫命此命腋上池心宮御宇観松彦香殖稲天皇立爲皇后誕生二皇子則彦國押人命次日本足彦國杵人天皇是也孫天戸目命天忍人命之子此命葛󠄀木避姫為妻生一男次天忍男命大蝮王部連等祖・・・」とあり、系図なので訳は省略した。

天忍人の父は高倉下の子の天村雲で『舊事本紀』に「天村雲命・・・此命阿俾良依姫爲妻」と阿俾良依姫を妻とし、神武天皇の妃は『古事記』では阿比良比賣で、皇后の五十鈴姫・綏靖皇后五十鈴依姫に対して、阿比良比賣・阿俾良依姫と天村雲の親の高倉下が『古事記』では神武天皇の一人、綏靖天皇・手研耳にあたるのが天村雲だと『古事記』・『舊事本紀』は想定している。

尾張氏の綏靖天皇の天村雲は『古事記』の神武天皇の前の妃の阿比良比賣の親族と思われる阿俾良依姫を妃とし、まさしく、神武天皇の韛五十鈴媛と綏靖天皇の五十鈴依媛と同じ関係で、阿俾良依姫の子の天忍人は異妹角屋姫(葛󠄀木出石姫)を妻と記述して、事代主の母の屋楯比賣の同系の姫を妃として葛󠄀木に住み、香語山も異妹穗屋姫で事代主と同系、事代主の王朝の後継者を主張したと考えられる。

天忍人は襲名した何代もの波延朝廷の襲名した王名で、天忍人の弟の天忍男は劔根の娘の賀奈良知姫を妃として、その子が羸津世襲(葛󠄀木彦)・世襲足姫で、羸津世襲は葛󠄀木王・大臣なのだから次期天皇の皇太子と同等の地位、天皇天忍人が姪の忍男の娘の世襲足姫を皇后にして、羸津世襲は葛城氏、その子若しくは本人が大倭帯彦、その子が天皇大倭根子で娘は避姫、妹は世襲足姫の子が襲名した波延朝廷の天戸目、天戸目に天皇太瓊の兄弟の避姫が妃になって、兄弟で皇位を簒奪し、天戸目の娘の細姫、大倭根子の姪が皇后になったと考えられる。

『日本書紀』「觀松彦香殖稻天皇一云天皇母弟武石彦奇友背(手研彦奇友背)」のように伯父と混同した耜友の祖父の磯城彦波延の孫(磯城津彦?常津彦某兄)の子に和知都美がいて、淡道(淡海道)の御井宮に住み、まさしく、八(野洲)井耳で名張や美濃を支配し、磯城彦波延の孫の常根津日子は伊呂泥、和知都美の娘も繩伊呂泥で、綏靖天皇から孝安天皇まで5世代、少なくとも100年の間、葛城氏と姻戚関係に有り、葛城氏の政権は磯城縣主の祖から奪っていると考えられ、葛城の中枢に、波延王朝の姻戚の葛城王がいたと考えられる。

そうすると、『日本書紀』の事代主の子達の大神氏の神武天皇と『古事記』の大物主・意富美和大神の子達の尾張氏の神武天皇との皇位継承が必要で、『日本書紀』は息石耳の娘の天豐津媛を尾張氏の妃と想定したが、おそらく、天豐津媛の子の當藝志比古(手研彦)が磯城縣主の太真稚の娘の飯日比賣に婿入りし、襲名した磯城彦、飯日比賣の子の和知都美が皇位を奪ったと考えられる。

太眞稚彦は大国の姫の糸井媛を妃にし、大国は大神氏の領地で、大神氏の建甕槌の剱は高倉下の神宝、その子の建甕依は木國造の祖で曲浦出身の春日氏・和迩氏でもある宇豆比古の親族と思われる紀伊名草姫を妃にして、その孫が和迩君の祖とり、建斗禾も同じく中名草姫を妃にして、子に建手和迩が存在している。

そして、建斗禾の子の建宇那比も、和迩君の祖の阿田賀田須の娘と思われる節名草姫を妃にして、大神氏の領地の三・倭・木・大の国を支配し、再度皇位を得たと考えられる。

君と臣は「岐国神」と「隠国神」の違いで、「岐国」・「君子国」配下の国神と「隠国」・「周饒国」配下の国神の違いで異なる王朝の配下の王を示したもので、同一の概念と思われる。

『日本書紀』では天足彦國押人が和珥臣の始祖とされ、天足彦國押人は天おし人すなわち天忍人で、天忍人が和珥臣の祖となり、宇豆比古・珍彦を介して、和迩臣を尾張氏は継承し、国神珍彦は海の道案内で天の道神(根)、その兄弟は若しくは母・娘は天の道姫で、天道日女は香語山の母である。

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