2017年1月23日月曜日

考古学よおまえもか


今回はむつかしい話でゆるしてぇ。
それでも言いたくて言いたくて仕方がない。
大阪府文化財センターの江浦先生の講演を聞いたけれど、内容はこうだ。
木材の表面の年代が613年と判定された木材がありそれが飛鳥時代の地層の上Ⅱ期と同じ位置に残っていたそうだけど648年の年号がある木簡が25年程度の誤差があるが早くて650年頃より後の土器と一緒に出土しているから前期難波の宮は680ころか650年ごろで土器の様子から650年ころという結論だ。
すなわち木簡は650年で良いが、たくさんある丸太から多くの労力を使って35年分削って細くしてもしくは70年分削っているそうで、転用した様子もないが土器とは結びつかないというわけのわからないお話ぃ。
結局どんなものが発見されても考古学ですら自分の都合のいいように解釈する。
あぁ何を信じて古代史を考えればいいのぉ~
古代史には科学が存在しないのぉ~

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