大臣や皇太子がある王家に対して、大人国系の王家には、この構造がなかった。彼らは、通商と武力によるネットワーク国家。経済で支配し、「太子」や「政大夫」という政治的継承の装置を必要としなかった。大臣の出現も、最初に天皇の死亡日を記した御真木入日子や大帯日子の頃、おそらく西暦300年頃以降から、和珥の比布禮大臣、武内大臣が担う。
『舊事本紀』では、王の代替わりのたびに、奇妙な現象が起きる。即位と同時に、大連が「賜姓」される。これは偶然ではない。政大夫に任命されること、それは、太子と同等になること、王権が新たに始まる「最初のしるし」だった。古い時代に登場する大臣・大連の名を見てみよう。
大臣:出雲醜、出石心、羸津世襲、欝色雄、伊香色雄、大新河、膽咋
大連:羸津世襲、武諸隅、大新河、物部武諸遇
けれど、これらの役職は、『古事記』『日本書紀』にはまったく登場しない。なぜか? それは、王統が、その大臣・大連を意図的に認めなかったから。皇后の兄弟なのに、羸津世襲も欝色雄も伊香色雄も大臣と意図的に呼ばなかった。